北京、モントリオールからの風
――監督の『おくりびと』は21世紀日本の社会が二極化する時代背景と関係があると思いますが?
滝田 そうですね。当時の不景気が僕がこの作品を撮影することを刺激した影響は大きいものでした。日本はアメリカ式のやり方を学び、社会の二極化が進みました。その当時、頻繁に「自己責任」とか「痛みを伴う」などの言葉が使われましたが、当時は誰もこうした話の本当の意味を深く理解していませんでした。そして、経済が悪くなるのに伴い、社会的弱者は軽視されるようになりました。しかし、世の中がどれだけ厳しくても、普遍的な意味のある情感の物語はやはり必要でした。そして僕は考えをめぐらせ、『おくりびと』を題材に選んだのです。
――当時の世界情勢がこの作品に与えた影響もありますか?
滝田 2001年のアルカイダによる米国テロ事件やその後の宗教戦争を経て、世界経済はさらに悪くなりました。より問題を深刻にしたのは、人々が何を信じていいか分からなくなったことでした。人々は新世紀に入った時に精神のよりどころを失いました。このような時代背景の下、いったいいかに家族、友人、愛する人と付き合っていけばいいのか? 自分が生きる意義は何か? 人は泣きながらこの世に生まれ、泣きながらこの世から去っていきます。人の終局の意義はどこにあるのか? 人生はたやすくはないが、どの人も「生きてよかった」と言います。この作品は温かさに満ちた物語でこうした問いかけに答えていると思います。
――日本は死について語ることを忌み嫌う国ですが、この作品の公開は順調だったのですか?
滝田 確かに作品の主人公は死体と交流する人で、これは多くの日本人が受け入れたくないものでした。人々はみな自分が将来死に直面することを見たいとは思わず、これを避けたいと思うのです。しかし実は死は身近な生活の中でいつでも起こり得ることですが、人々はやはりこれが自分から遠く離れていてほしいと思っています。このため、日本ではこの作品のテーマは禁忌となっています。作品は出来上がってから1年余り、ヒットしそうもないと、どの会社も公開しようとはしませんでした。
――転機になったのはどんなことでしたか?
滝田 この作品の転機は国外からの「神風」によるものでした。今回、2008年第17回金鶏百花賞選考チームの汪暁志さんに会いましたが、彼が話してくれたところによると、作品はこの時の全ての審査員を感動させたそうです。そして、金鶏百花賞の外国映画に関する四つの賞のうち作品賞、監督賞、主演男優賞を受賞しました。今回、汪さんは当時の翻訳された脚本を記念としてプレゼントしてくれました、本当に人生の縁だと思います。北京での思いがけない受賞のほか、モントリオール国際映画祭でもグランプリを受賞しました。北京とモントリオールからの「神風」によって、その後の日本公開で火が着いたのです。配給会社はヒットに自信が持てずあまり宣伝も行いませんでしたが、海外からの好評で日本の観客も映画館に足を運んで作品を見て、その感動を伝え広めたのです。
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汪暁志さん(右)から滝田監督に『おくりびと』の中国語訳原稿が手渡された(写真・王浩/人民中国) |
普遍的な愛情は国境を越えて
――この作品は多くの国で公開されたそうですね。
滝田 多くの国でいずれも興行成績が良好で、全部で76の国と地域で上映されました。米国でプロモーションをした時には米国の観客と共に見ました。多くの人が共感を示し、僕も感動しました。韓国では、映画館の観客はとても集中し、映画の場面ごとに自分の感情を表に出していました。ある場面では、観客が「わあ」と大きな声を上げたので、僕も驚きました。
――『おくりびと』が中国でもとても知名度が高いのはご存じですか?
滝田 もちろんうかがっています。最も直接的な感想は温家宝前総理からのものでした。温総理が訪日した時に、東京の迎賓館に各界人士が招かれたのですが、僕もそのうちの一人でした。当時は『おくりびと』が米国アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したばかりでしたが、温総理は来日前にそれをご覧になったということでした。僕は各国で「死」の習俗は異なり、日本人はここまでやるのかと外国人は日本の習俗に驚くのではないかとも思ったのですが、会場で温総理は僕に、あなたの作品を見ましたがとても感動しました、と言ってくれました。 先ほどの汪さんが『おくりびと』に最初に中国語の字幕を入れました。彼によれば、当時彼らが外国作品を審査した時に、たくさんの作品を見たものの十分な水準ではなく、意見は不一致でした。そして次の日の最後の段階で松竹から送ってきた『おくりびと』を見た全部の審査員は興奮極まりなく、その年の外国映画賞にこの作品を選んだということです。汪さんの話によれば、その年に大連で行われた金鶏百花映画祭の開幕式でこの作品が上映され、大きな衝撃を引き起こしたそうです。連続4度上映しましたが、どの回も満員で、中には3度続けて見ても足りないという人までいたとか。このエピソードをうかがって僕はさらにうれしく思いました。
――映画は相互理解の面でどのように独特の役割を果たせますか?
滝田 映画は人々に想像と美しいあこがれをもたらします。われわれは自分と異なった文化に対して理解が不足しがちで、この点については教科書やメディアが伝えるものの影響を最も強く受けます。ところが、映画を見るとこれまで知っているのとは異なった世界を感じることになります。スクリーン上で見るのは生き生きとした人であるため、新しい認識を得るのです。言葉が通じなくても画面は自然に感情の相互作用を引き起こし、未知の世界に対するあこがれを生み出します。僕にとって不思議だったのは僕の父親で、彼はとても映画好きで、ほとんど全てのフランス映画を見ていました。人々が本当に映画を愛したのは、夢を持っていたからです。日本は現在貧しくなりましたが、素晴らしい映画は、人々に希望をもたらします。
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