近代の天津は、北京の外港として国際的にも重要な地位を占めた。
第2次アヘン戦争後、日本の伊藤博文と清の李鴻章は中国の天津で会談し、1858年に天津条約を締結した。1860年に結ばれた北京条約によって、天津は開港を余儀なくされた。
19世紀後半から20世紀前半にかけて、英国、フランス、米国、ドイツ、オーストリア(ハンガリー)、ベルギー、イタリア、ロシア、日本が相次いで租界を設置し、天津は中国で最も租界の数が多い都市となった。また、中国の近代化をめざした洋務運動の中心の一つとなり、北洋学堂、天津機器局などが19世紀末創設された。
1949年、新中国の成立により租界は完全に消滅した。同時に天津は、中央直轄都市となった。
人民中国インターネット版 2017年1月25日