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魚と竹を絆に「相互理解」
アーティスト 王伝峰氏

 

王衆一=文 王伝峰=写真提供

 

  『魚群』 1994年 65×68cm

日本美術に触発され日本へ

「人々が沂蒙は良いと言ってくれるように、沂蒙山の景色はまさに絶景です」。王氏の出身地山東省沂蒙山は「書聖」王羲之の故郷だ。1967年生まれの王氏が故郷の話をすると、自然と子どものころに見た美しい山河の思い出が口から出てくる。「私の素朴で純真で情熱的な性格はあの美しい風景に育まれたのです。また、絵画や芸術への漠然とした興味も生まれました」

90年代に王氏は「地上の天国」と称せられる杭州へ行き、西子湖畔にある中国美術学院で絵を学んだ。豊かな自然に恵まれる江南地域にある杭州は、優れた人材を輩出している場所であり、山東の郷土文化と江南の文化人気質がここで融合した。杭州が王氏に本格的に芸術の道を進ませたのだ。この芸術の聖地で身に付けた水墨画の花鳥画の専門知識と技能が王氏の芸術家人生に最も確固とした基礎を築き上げた。杭州で数年間勉強し、この優しさにあふれる都市を深く愛した王氏の絵には雨がそぼ降る江南の水墨画的風情が十分に反映されている。精神的な意味で、杭州は私の第二のふるさとだと王氏は語る。

王氏が中国美術学院にいたころは幸いにも改革開放の真っただ中だった。当時の教育が提唱していた「未来に向かい、世界に向かう」というスローガンに学んだ王氏は伝統的な水墨画だけに集中することはせず、学校の図書館で資料を閲覧して東山魁夷、平山郁夫、加山又造、高山辰雄ら有名な日本人画家の作品集に目を通した。すでに水墨画の基礎を着実に修めた王氏は色彩の対比が強烈で濃厚な色使いの日本絵画の画風に引き付けられた。そしてしばらく考えた末に卒業後に日本へ留学することを決意した。

 芸術家・曽梵志氏(左)と蔡国強氏(中央)との記念写真

92年5月、王氏は単身日本へ芸術留学した。日本に来たばかりのころは毎日展覧会へ行ったり、資料や画集を読んだりして必死に芸術の知識を吸収した。日本で初めて個展を開いたときには、当時やっていた新聞配達のアルバイトを生かして個展の招待状をこっそりとその日の新聞紙の中に入れて投函した。個展は大成功し、出展した30点余りの作品が完売した。

長い歳月の中で、中国の伝統的な絵画技法を継承した基礎の上に日本の琳派の特徴を組み合わせ、王氏は徐々に自分なりの画風を作り上げた。和紙を効果的に使って変化に富む色彩を描き上げる彼の画風には独特の視覚的効果がある。

 『花と魚』 1997年 38.2×26cm

王氏の絵画制作の工程はまず毛筆で下描きして大体の輪郭を引いてから金色のスプレーを大量に吹き付ける。画面に浮かび上がる柔和な線には言葉では言い表せられない深奥な哲理が込められており、濃淡が入り混じる調和のとれた色使いには多様な変化が表れている。王氏の手に掛かれば、和紙が現代アートのジャンルで新しい魅力を見せる。

 

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