剣川沙渓の太子会

2018-12-25 17:54:21

 
楊振生=文 胡婭華=写真

 

太子巡遊で衣装を着替える太子


大理ペー族(白族)自治州の剣川県は悠久な歴史と豊かな文化を有し、異文化の情緒に溢れており、今でもなお多種多様な民間の催事が現存されている。中でも剣川の沙渓で旧暦の2月8日に行われる「太子会」が最も特徴的だ。これは俗に「四門出遊」と言い、仏教の開祖であるゴータマ・シッダッタ太子が王族の身分を捨てて仏教を創り、最終的に偉大な業績を遺したことを記念する行事だ。この行事は毎年旧暦の2月8日に剣川県沙渓鎮の長楽村と寺登村で行われ、寺登街を巡遊する。 

 

本主廟に集まった信徒


2014年10月に大理の崇聖寺で「仏教とアジアの人民の共同的な運命」をテーマにした仏教フォーラムが開かれた。参加者である元敦煌研究院院長の樊錦詩氏はフォーラムで、剣川で「四門出遊」が行われているということを聞き、「仏典にはその記載があるが、よそではすでに失われた文化だ。まさか雲南省西北の小さな街にまだ残っていたとはまさに奇跡だ」と非常に驚いた。樊氏はその後、剣川で太子会を2回視察した。

 

太子巡遊前の読経の儀式

 
 旧暦2月1日は仏教を信仰する沙渓鎮の男女、特にその年に結婚した新郎が本主廟で「開仏門」という儀式を行う。そして人々が廟を掃いて「太子」である釈迦牟尼像を清め、太子会の「執事録」(各人の役割をまとめたもの)を準備しておく。人々は「執事録」によって割り振られた職務をこなし、太子会のために準備し、それから剣川の本主廟では7日間にわたって「母親会」や「念経会」(女性高齢者による読経などの仏事を行う団体)の構成員が当番制で廟の線香の管理をする。 

 

本主廟前で「太子」を迎える

 剣川沙渓長楽村には木像の釈迦牟尼仏が祭られている。伝説によれば、ある風雨の晩に長楽村の山上で洪水が起きたが奔流が村を避けて過ぎ去った。翌日、釈迦牟尼像によく似た木が村の西側に立っていた。村民は仏様が西からやって来て村を守ってくれたと思い、どらや太鼓を打ち鳴らし、焼香して膝をついて拝礼し、その木を木工に彫らせて釈迦牟尼像を作り、祭ったという。 

 

四門出遊


 釈迦牟尼仏は西方の極楽浄土に住んでいるという。沙渓の住人は、寺登村の西側にある長楽村に、釈迦牟尼仏が西の山からやって来たのは、長楽村の村人が呼び寄せたからだと考えている。人々は興教寺の鍵を長楽村に管理してもらい、毎年旧暦の2月8日に祭祀を行う際には必ず長楽村の村人が興教寺の門を開けてから記念行事を始める。(仏様が西から来たため、長楽村には釈迦牟尼が祭られており、寺登村にはゴータマ・シッダッタ太子が祭られている。そのため催事の際には長楽村の釈迦牟尼像が寺登村に来て興教寺の門を開けてから、寺登村の行事が行われる)

 

厳かかつ盛大な様子の四門出遊


 催事の期間中、人々は山で集めた松葉で小さな牌坊(伝統的なアーチ形の建築物)を作り、興教寺の門の前にある「四方街」(広場)を飾り立てる。仏教徒や新婚夫婦およびその家族は旧暦の2月1日から7日まで菜食をし、太子会の晩になって初めて肉を食べられる。 

 

阿吒力法師


 太子会では会首(会長)がまず沙渓鎮各村から太子会に使う「太子馬」(釈迦牟尼像を載せる馬のこと)を選ぶ。自分が飼っている馬が「太子馬」に選ばれることは非常に光栄なことで、釈迦が家族の守り神となり、その威光が家を照らすことを意味している。また、親戚や友人も祝いに訪れる。

 

釈迦牟尼仏を拝む  


 太子会当日は朝早くから新婚の新婦と執事録で割り当てられた炊事当番の担当者が一緒になって沙渓一帯から「太子会」に訪れる仏教徒のための精進料理を用意する。新郎は本主廟で「朵希簿」(雲南の密教の阿吒力法師。阿舎利とも言う)と共に「太子」に新しい衣装と冠を着せる。「読祝」(祝詞を唱える人)が祝詞を読み上げたあと、香柏とヨモギの清々しい香りの中、新郎に囲まれながら寺登村からこしに乗った釈迦牟尼仏像と馬に乗ったゴータマ・シッダッタ太子像、そして長楽村から山車に乗った釈迦牟尼像ら異なる造形の仏像が寺登村の四方を回り、人々へ幸福を届ける。各家はお香を焚き、銅銭、もち米、豚の頭、カワハギ、八大碗(8種の肉料理)、干した果物などを家の前に供え、釈迦が子孫を見守ってくれることを祈る。 

 

香柏とヨモギを焚く儀仗隊 


 寺登村と長楽村でその年に結婚した新郎に囲まれ、こしと山車に乗った釈迦牟尼仏像は寺登街の路地を巡遊する。そして長楽村の鼇峰山に着いた時、自分の家を見てもらおうとみんなが釈迦牟尼仏から離れる。興教寺の住職が人々を引き連れて膝をついて西方へ拝礼し、信徒、母親会、洞経会、念仏会の仏教徒が木魚をたたき、念仏を唱えながら釈迦に黙々と祈りをささげる。人々は祈りや祝福を表す銅銭や福米を「釈迦」に投げ、長生きと健康を願う。 

 

本主廟前で行われる祭祀活動「斗花」


 「釈迦牟尼仏」の巡遊が終わると新郎たちは釈迦牟尼仏とゴータマ・シッダッタ太子をこしと山車と「太子馬」に別々に載せて、本主廟へと戻す。そして次の2月8日の太子会まで待つのである。
その後、沙渓の人々は祭日に着る衣装を身に着け、寺登の四方街へ集まる。お香の煙が立ち込める本主廟にリズミカルな滇劇(雲南の伝統的な劇)の音と、清らかで激しい「覇王鞭」(楽器の一種)の音が幾度も鳴り響き、洞経楽(音楽の一種)の悠然とした調べや情緒たっぷりの情歌調(少数民族の音楽)が漂う。人と仏が楽しむ「太子会」の和やかな雰囲気は人々に忘れられない記憶を残す。

 

本主廟での「神灯舞」

 

太子会が終わり、読経をして福を祈る人々  

 
注釈: 
 沙渓興教寺:明代のペー族の密教寺院である。永楽13年(1415年)に建立され、中国国内に現存する唯一の明代のペー族の密教寺院である。雲南省剣川県沙渓寺登鎮鼇峰山の日当たりの良い場所に造られた。2006年5月25日に明代から民国時代の間に造られた古い建物として、国務院により第6回全国重点文物保護単位のリストに加えられた。

 
ペー族本主と本主廟: 
本主:
 ペー族の社会生活には異なる宗教が異なる印象を与えている。仏教・儒教・道教の三教が「三教同源」と「万法同宗」によって融合しているのがペー族の宗教と信仰における大きな特徴である。ペー族の文化特有の宗教と信仰は本主崇拝である。本主とは「本境土主」、「本境福主」(その地方の神)の略称だ。ペー族の人間は本主こそ自分の家あるいは村の守り神であると考えている。 


本主廟:
 本主を祭る廟のことであり、ここで祭祀などの行事を行う。本主廟は特定の人物あるいは組織に管理され、公共的な祭祀行事を担い、個人向けの祭祀を行う他、各村の状況によって毎年1回か2回、定められた儀式を行う。ペー族の人々は生活の中の大小さまざまなことを本主廟の本主へ訴え、祝福を受けることができる。本主廟は村の風水の良い場所に建てられており、ペー族の人々は畏敬と崇拝の念をもって祭祀を行う。

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