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広東行ーー改革開放の最前線(1)

 

東莞市の発展は、小さな手提げ袋を作る町工場から始まった。というと不思議に思う人が多いだろう。

今、この工場はない。改革開放政策が始まった1978年、従業員がたった6人のこの工場こそ、東莞にできた初の工場だったのである。その面影は、東莞展覧館の展示コーナーで、わずかに偲ばれる。

中国が改革開放政策に動き出して30年。当時の実力者障ナ小平氏が南方地域を視察し、「豊かになるのは悪いことではない」と「南巡講話」と呼ばれる号令をかけたのが始まりだ。そのトップランナーとして走り続けたのが広東省。

日本語部の周莉記者といくつかの町を訪ね、その足跡をたどってみたい。

広東省東莞市。常住人口700万人の大都市。実際は1000万人を超えるだろうと言われているが、外資系企業が1万5000社もある、と聞けば納得できる。この30年のGDPの年平均の伸びは18%。中国の改革開放が成果を収めた18都市の一つにあげられている。IT、靴、玩具、家具などの企業が目白押しで、とくにIT企業の生産額が全市生産額の35%を占める。

小さな農業県から、今日の発展を誰が予測できただろうか。まさに天をひっくり返すような変化だ。市内を歩くと道は整備され、高層アパートが目につく。みんなが改革開放の果実を味わっているようだ。

東莞の隣は深セン、そして香港と続く。多くの華僑、華人。「こうした地の利、人の利が東莞の発展に大きなプラスになりました。条件は各地一様ではないのです」と王道平東莞市共産党委員会常務委は控え目に話す。

東莞市は28の鎮を持つ。鎮とは日本流にいえば、町程度の行政単位だ。まず車で2時間ほどの虎門鎮を訪ねた。この町も農業以外の産業は何一つなかったが、服装加工工場の誘致を機に、アパレルメーカーが次々に進出、今では加工企業が2000社に膨れ上がってきた。

1996年からは国際服装交易会が開かれるようになり、今年は13回目を迎えた。会場の黄河服装場に行ってみると熱気がいっぱい。新年のファッションショーには世界各地からやってきたバイヤーが、売れ筋の商品を捜すために群がっていた。

隣の長安鎮にも足を伸ばしてみた。きれいな町だ。「中国郷鎮の星」に選ばれた、というのが住民たちの自慢である。緑化率が40%、グリーンベルトなど道路の緑化率は100%を達成したそうだ。

こちらも農業地帯から外資の投資企業1600ある町に成長した。「20年前にはスーパーも文化施設も何一つなかった。今では5つ星ホテルが3つ。毎年1回の文化やスポーツの祭典。改革開放政策のおかげでこうした発展ができた」と副鎮長の陳偉文さんはいう。

烏沙地区のコミュニティに住む陳燦亮さんは今年64歳。農民として土地を耕していたが、村が一括して進出企業に転貸。これらの企業の株主になる形で経営に参加し、その配当金だけで年間2万元ぐらいになる。120平方メートルに4階建ての家を建てた。同じような人がコミュニティに400所帯。

門柱に「身体健康」の張り紙のある自宅で迎えてくれた陳さんは、「私は学校も出ていないが、とても幸せな毎日だ。改革開放政策がなかったら、こんな生活はできない」と顔をほころばせた。

 

広東行ーー改革開放の最前線(3)

広東行ーー改革開放の最前線(2)

 

「中国国際放送局 日本語部」より 2008年12月

 

 

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