「金九銀十」(9・10月はかきいれどき)という言葉が示すように、9月と10月はこれまで不動産販売の繁忙期だった。国の不動産調整政策はますます厳格化してはいるが、一部の都市ではなお価格が大幅に上昇している。中国の不動産価格、剛性需要(住宅を必要とする人によって生み出される住宅需要)、不動産投資などの問題について、他国の例を持ち出して大・中都市の不動産価格がいかに押し上げられているかを論証する人がいる。同じくアジアの国である日本は、いつも中国と対比され、特に若年層の住宅購入に対する態度がよく比較される。いわく、日本の若者は賃貸派が多く、中国の若者は持ち家を切望する、という。「中国青年報」が伝えた。日本人の加藤嘉一さんによると、北京大学時代の中国人同級生たちはみな、卒業すると住宅購入の準備を始めたという。年収が5万元の人も50万元の人もみな一様に準備を始めたという。一方、日本では大学卒業から数年間は賃貸物件に住むのが一般的で、最低10年は歯を食いしばって働き、やっとマイホームの頭金がたまる頃に初めて住宅購入を考えるようになる。加藤さんの東京で働く1980年代生まれの知人たちで、家を買った人は一人もなく、こうした問題を話し合ったこともまったくないという
これは両国の文化的背景と関係があるという見方がある。日本は西側文化の影響を強く受けているが、中国では結婚して独立するという伝統的な観念に強く影響を受けている。中国人は、家がなければ幸せになれない、家があって初めて結婚できる、と考えるという。日本のあるサイトが幸福と家の有無との関連について調査したところ、幸福と家とは関係があると回答した日本人は1割にも満たなかった。一方、中国人は回答者の8割以上が関係があると回答した。
中国の若者は家を手に入れなければ結婚できないというが、これははたして伝統的な観念の影響だろうか。このいわゆる伝統はいつ頃始まった伝統なのだろうか。筆者は1970年代末に生まれ、両親は7平方メートルの1ルームに住んでいた。これは母の勤務先から支給された単身者用の宿舎で、当時、若者の多くはこのような単身者用の宿舎で結婚生活を送っていた。そのころは福祉対策として勤務先から住まいが支給され、年功序列で住まいが決められていた。ある勤務先では、従業員は結婚しなければ住まいが支給されなかった。その後、分譲住宅が徐々に市場に出回るようになり、そのころに家を買ったのは、自分で商売をしていて勤務先がないという人たちだった。私のいとこは1990年代に結婚し、勤務先から住まいを支給されるまであと少し待たなければならなかったとしたら、結婚後も両親と一緒に暮らすはずだった。このようにあれこれと書いていると、いわゆる中国の伝統的観念が家を手に入れられなければ結婚出来ないと規定しているとは思えない。少なくとも私より年長の人たちの様子をみると、住宅購入が結婚の前提条件にはなっていない。実際、分譲住宅の開発も販売も改革開放以降のことだ。ここからわかることは、若者は伝統的な観念の影響を受けて、自分の家を買わなければ結婚できないと考えている、というのはまったくニセの命題だということだ。それでは日本の若者はなぜ家よりも携帯電話の新機種に関心を寄せるのだろうか。中国の若者はなぜ幸福と家とは直接関係があると考えるのだろうか。
両国のここ数年間の不動産価格の変化をみてみると、その原因の一端がわかる。筆者の住む武漢市を例に取ると、2006年7月の中心部の不動産取引価格は平均1平方メートルあたり3667.93元、漢口地区の中心部は同4412.27元だったが、2010年6月には前者が6656.02元、後者が9704.02元に跳ね上がった。北京や上海などの一線都市と比較して、武漢の不動産価格は相対的に低く、上昇幅もまだ穏やかだが、4年もたたないうちに価格は倍増しており、ものすごい勢いだといえる。さらに少なくともここ数年の状況をみると、2008年末に一時的にペースダウンした以外は、不動産価格は上昇の一途をたどっており、国が調整政策をうち出した今も勢いはとどまるところを知らない。中国人にとって、住宅購入は自分が住むだけでなく、資産を守るための一つの方法となっている。今家を買う方が、貯金して数年後に家を買うよりも出費が少ないかもしれず、より不確定な要因は、数年後には自身の所得の伸びが不動産価格の伸びに追いつけるかどうかわからないということだ。もしだめだったとしたら、今もてる力を総動員して家を買った方がいい、となる。
日本では不動産価格が1980年代末に過去最高を更新して以降、下がり続け、ここ十数年は一貫して低迷状態が続いている。日本のサラリーマンの多くは1990年代にバブル経済崩壊でダメージを受けた。苦労して買った「夢のマイホーム」の価値がバブル崩壊が急激に下がり、多額のローンを背負う人が続出した。バブル時代は日本人に影を落とし、若者たちは押し黙った。ある日本のネット利用者は上記の調査に回答する中で「なんとか家を買っても、ローンが払えなくて住めないなんて、本末転倒だ」と述べている。日本の若者は不動産バルブに警戒の姿勢を崩していない。相対的に成熟した不動産市場では短期間に価格が急上昇するということはあり得ず、今家を買っても数年後に買っても価格はそれほど変わらない。インフレ要因を考慮すれば、数年後の方が安くなる可能性もある。バブル時代の教訓もまだ生々しい。こうしたわけで、蓄えも乏しい日本の若者たちは家を買う意欲をもたないのだ。
中国人が家を買うのに熱心なのは現実に迫られているからだといえる。もしも不動産がほかの商品と同じように値上がりしたり値下がりしたりすれば、これほど多くの人が家を買わないとみられる。現在、中国のほとんどの家庭は一人っ子で、子どもが結婚して家が必要であれば、それぞれの実家からサポートを得られる。こうして子どもたちは親のすねをかじることになる。すねかじりは中国にも日本にもあるが、かじりかたが異なる。ある報道によると、2009年11月末現在、日本の失業者数は331万人、失業率は5.2%で、1980年代後半生まれの平均失業率は6%を超えていた。そこで日本には少なくない「パラサイト」が出現した。日本の若者は仕事をしていても収入が多くなければ、両親と同居できるし、結婚しても同居することもあり、両親は小遣いまで出してくれる。
このようにみてくると、中日両国の若者の住宅購入に対する考え方は異なるが、両親との関係が密であることは同じだ。西側諸国で子どもが18歳になれば完全に独立する、というのとは違う。中国でも日本でも、子どもが困った時に、両親はなんのためらいもなく救いの手をさしのべる。中国の両親は子どもが家を買うのに資金援助し、日本の両親は子どものとの同居を歓迎し、時には小遣いをやる、という違いだけだ。
「人民網日本語版」 2010年10月11日
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