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鑑真座像が「里帰り」 仏教が結んだ中日のきずな

 

日本に渡った唐代の高僧・鑑真(688-763年)の座像(奈良・東大寺所有)が24日、それまで展示されていた上海万博日本館を惜しまれながら後にして、鑑真のふるさとである江蘇省揚州市に「里帰り」した。

日本に渡った唐代の高僧がなぜ世々代々にわたり両国国民の間で語り継がれているのだろうか。

物質的に満たされ、文化や社会が成熟した現代に生きる私たちからすると、1200年以上前の日本渡航は想像を絶するものだった。荒れ狂う波に加え、さまざまな世俗からくる偏見が鑑真の前に立ちはだかり、飢えや病気、弟子との別れ、裏切り、失明など肉体的、精神的な苦難が襲いかかった。しかし鑑真は幾多の苦難が降りかかろうとも、そのたびに苦悩や絶望感を乗り越え、あきらめなかった。まだ見ぬ「日の出ずる国」に対する思いやりと、そこに暮らす人々に対する哀れみが疲れ切った精神と肉体を支えた。そんな使命感に突き動かされて、危険を顧みず6回にわたって渡日を試み、激しい暴風に幾度となく遭いながらも、不屈の精神で日本にたどりついた。こうして鑑真は日本の人々が当時必要としていた仏法、芸術、医薬など進んだ文化を日本に伝えるという歴史的な偉業を成し遂げた。これは中日友好交流史を切り開いただけでなく、民族、国家、宗教、時空を超えた命のあり方や人生の境地を後世に示した。

鑑真は、中日友好のために尽力してきた偉大な人物たちの代表である。その中には歴代の遣隋使や遣唐使がいる。唐代の大詩人、李白と親交のあった阿倍仲麻呂がいる。中国留学から帰国後、天台宗を開いた最澄や真言宗を開いた空海、曹洞宗を開いた道元、および明代に日本に渡り仏教を伝え黄檗宗を開いた隠元隆叙ゥなどがいる。このほか、現代の両国友好を促した思想家や政治家、外交家、宗教家、芸術家など、枚挙にいとまがない。

「一衣帯水」「文化同源」の中日両国は、たくさんのきずなによって堅く結ばれている。そのうち、脈々と受け継がれ、輝きを放ち続けているのが、仏教である。中国仏教協会の元会長、趙朴初氏はこれを「黄金のきずな」と呼んだ。この黄金のきずなは第2次大戦後、まさに両国の民間交流を切り開き、国民感情を修復させ、国交正常化を促した。いま両国関係はぎくしゃくし、せめぎ合いが絶えない。しかしそうした時期だからこそ、歴史を鑑として先人たちの業績を振り返ることで、黄金のきずなをさらに輝かせ、鑑真の精神をいまに活かさなければならない。(筆者 葉小文・中日友好21世紀委員会中国側委員/編集YT)

 

「人民網日本語版」 2010年11月26日

 

 

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