―― 中国外交学院国際関係研究所の周永生教授に聞く
文=鐘 欣
中日関係は近頃、最も冷え込んだ状態へと向かいつつあるが、両国の環境保全協力は依然としてこれまでと変わらない進展を見せている。中日間の環境保全協力を「第二次世界大戦」以降のECSC「欧州石炭鉄鋼共同体を通じた仏独の和解促進」に例え、両国が環境保全の協力を通じて政治外交を推進していくことを望む声がある。
中国外交学院の周永生教授は、環境分野における協力は中日間協力レベルの向上にプラスとなっていると考えると同時に、両国の環境外交に「スピルオーバー(拡散・波及)効果」が現れ、中日関係を推進するための「エンジン」となることを望んでいる。
――中日は従来、環境分野における良好な協力関係を保っている。現在の状況も鑑みた中日の環境分野における協力の見通しはどうか。
周教授 中日の環境協力の見通しは依然として明るいと思う。現在、両国の船舶衝突事件は安定的な段階に入っている。小さな後続事件が起こったが、全般的に言えば、両国政府はいずれも摩擦の中で安定を求めており、2007年に合意した中日両国の戦略的互恵関係を引き続き推進している。
発展段階が異なる中日両国には極めて強い相互補完性がある。相互補完性が最も強い分野はエネルギー、環境保全の技術領域である。日本は環境保全を非常に重視したため、1970年代の石油危機以降、省エネルギー・環境保全技術を重点的に発展させ、今では世界トップレベルに達している。環境では、世界の利益は実は共通であり、環境協力を通じて、日本は中国で新たな市場を開拓することができる。したがって、両国の協力の見通しは極めて明るいと思う。
――日本は最も早くから「環境外交」を提起した国であるが、われわれはどのように日本の「環境外交」を理解すべきか。
周教授 環境外交は日本が大国のイメージをつくり上げるための重要な外交領域であり、日本的な特色がある。エネルギー不足の国である日本は1970年代の石油危機以降、省エネルギー措置を大規模にとり始めた。1980年代の初めには一応の成果を上げ、1990年代には大きな成果を見せるようになった。
1985年の円高、GDPの高成長によって、国の戦略にも変化が生じた。中曽根政権が発足した1982年以降、日本は中小国としての発展戦略に満足できなくなった。しかし、世界大国になるには、必然的に世界に貢献する必要がある。そこで日本は環境分野の強みを活用するようになった。当時日本はODA(政府開発援助)を通じて発展途上国に資金、技術、研修を提供するほか、自らの比較優位性と結び付けて、自国の環境理念、環境保全の技術、制度を世界に向けて推し進めた。これは日本の戦後の「平和発展」の戦略思想に合致するばかりでなく、国連安全保障理事会常任理事国入りを目指す上でも役立つものだった。
1992年のブラジル・リオデジャネイロ「地球サミット」で、80億ドルを発展途上国の環境保全事業援助に充てた日本は、世界の環境保全事業援助における最大の出資国となった。これは日本の「環境外交」のシンボル的な出来事である。その後、日本はほぼこの路線を続けている。
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