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各地で受けた震災に対する気遣い
「“五星奨”訪中遊学団」が帰国

 

2011年の「“五星奨”訪中遊学団」一行26人が3月28日、中国訪問の日程を終えて無事帰国した。

「“五星奨”訪中遊学団」は日本の「五星奨―中国語教育推進会」幹事長・葉言材氏の企画立案で毎年一度行われ、九州の各大学で中国語を学ぶ学生たちが参加している。1990年に「北九州大学生自主訪中遊学団」としてスタート以来今年で21回を数え、これまでに数百人の学生が参加した。

今回の「“五星奨”訪中遊学団」は、3月3日に大連に到着し、天津の南開大学漢語語言文化学院と大連の東北財経大学国際漢語文化学院で3週間の中国語及び文化課程講習を受けたほか、大連、天津、北京、西安、南京、揚州、上海、杭州などの地を巡り、3月28日にすべての日程を終えて福岡に戻った。

遊学団が出発する直前にはニュージーランド地震が起こっており、日本人や中国人の留学生も被災したと報道されていた。このため、遊学団の学生たちも不安で気が休まらない中での出発となった。そして中国にいる間に、学生たちは中国のメディアを通じて日本の大地震、津波、放射能もれなどのニュースに触れたのだった。ひとりの学生の父親はその日仙台に出張しており、学生たちの気持ちは想像に難くない。それでも、遊学団のメンバーたちは自分たちの「友好使命」を忘れず、残り3分の2のスケジュールを少しもないがしろにすることなく、中国の大学生や幼稚園の子どもたち、一般市民との数多くの友好交流を行った。特に特筆に値するのは、南京理工大学幼稚園と上海商学院日本語科の2つの交流活動だ。

園児たちと餃子づくりを通じて交流した

園児たちの言葉に思わず涙

3月23日午後、遊学団一行は南京理工大学幼稚園を訪問した。2009年に江蘇衛星テレビ局子どもチャンネルの責任者・富麗さんの仲立ちで訪問して以来、遊学団としてはこれが3回目の訪問だ。この日、ようやく連日の冷たい雨が上がった南京は快晴で、気温もいっぺんに十数度上昇し、春の陽気を感じさせてくれた。園児たちが陽光が降り注ぐ庭に整列して座っている様子は、本当に健康そうで華やかだ。まず、双子の兄妹が日本から来たおにいさん、おねえさんたちに日本で起きた地震と津波へのお見舞いと激励の言葉を述べた。2人が「大地震は去りました。みなさんが楽しく、平安に過ごせますように!」という言葉を述べ、自分たちで作った折り紙の「ラッキースター」を手渡すと、多くの学生たちが感動の涙を流した。その後、子どもたちと一緒に遊戯をしたり餃子を作ったりして交流し、互いにプレゼントを交換すると、雰囲気も大いに打ち解けた。最後に、李蘇園長の呼びかけでお互いが協力し、南京を象徴する梅と日本の桜の植樹を行い、友好と出会いの春を表した。

チャイナドレス姿で日本語学科生と交流

3月26日、遊学団は上海商学院を訪れ、日本語学科の学生たちと交歓した。遊学団は中国に来てすでに1カ月近くが経過していた。上海は彼らにとって帰国前最後の「買い物ポイント」でもあるが、学生たちは同年代の若者と交流、コミュニケーションを持つことが中日両国の未来にどれだけ重要なことかを知ることになった。予定通りにやって来た遊学団のメンバーだが、女子学生たちは中国であつらえたチャイナドレスを着ていた。肌寒い日だったが彼女たちはまったく寒さを感じていないようで、自分たちもまだチャイナドレスを着たことがない多くの中国の女子学生も興奮を抑えきれないようだった。

交歓会が始まると、司会者の提案で全員が東日本大地震と津波で亡くなった方々のために1分間の黙とうを捧げた。その後、上海商学院日本語学科の先生と学生による義援金が日本の学生代表に手渡された。この義援金は帰国後日本赤十字を通じて、被災地に届けてほしいと託されると、暖かい心に涙をこらえきれない学生も多かった。

『旅愁』のメロディに、それぞれが中日両国の歌詞に思いを託して歌った

こうした交流を通して、両国学生の気持ちはさらに近づいたのだった。今回の「“五星奨”訪中遊学団」の主な参加者は北九州市立大学、久留米大学、西南学院大学の学生。幹事長の北九州市立大学・葉言材先生と副幹事長の久留米大学・李偉先生が引率した。

 

遊学団のメンバーは最後の訪問地となった上海商学院日本語学科の学生たちと、記念撮影をして名残を惜しんだ

 

人民中国インターネット版 2011年4月1日

 

 

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