日本は地震、津波、放射能漏れという「三重」の災難に見舞われたが、災難への対応において、国民、官僚、政治家の三者はそれぞれ違った姿をみせた。平均素養が高い国民の対応は一流といえた。一方、効率の低い官僚の対応は二流、決断力がなく互いに腹を探り合い政争を続けた政治家に至っては、いわば三流にすぎない。
一流は国民だった。とりわけ地震発生初期段階の対応だ。巨大な災難に直面し、彼らは冷静、沈着、互助を守り、「日頃の訓練の成果」を発揮、国際世論は日本国民に対して称賛を贈り続けた。救助・捜索活動における政府の対応の遅さや政策決定ミスについて、彼らは不満があっても堪え忍び、非常時に政府に混乱を与えなかった。放射能漏れは彼ら本来の「反原発ムード」をあらわにしたが、彼らは合法的手段で抗議を行い、政府に協力し復興計画の施行を待ち続けている。
二流は官僚だった。効率が低かったのみならず、責任を負わなかった。日本語でいう「官僚」とはその実、政府機関の国家公務員を指し、彼らの惰性は久しい。今回の「三重」の災難は、行政当局の官僚にとって避けることのできない責任だ。昨年5月に早くも国会で、「福島第一原発」の予備発電機と外部接続電源に問題があり、不測の事態が発生すれば冷却系統が止まり、果ては原子炉の「溶融」にいたる可能性が指摘されていた。しかし、官僚の起草した答弁書は重大さに欠け、東電の利益を守るだけで、欠陥を認めなかったのが現実となった。彼らのこのような手法の理由には多くが挙げられるが、そのひとつに実権を掌握した人達がいずれも、東電という大企業と密接に繋がっていることがある。例えば彼らは退職後、「天下り」で再就職し、果ては企業の要職に就く。さらに日本の官僚文化において、上司の意志に背き事実を暴露する人は「窓際」に追いやられる。よって専門的知識を有する官僚でさえ良心を抑えて上司に従い事を丸く収める。結果、巨大な津波の衝撃の下、「福島第一原発」の全ての電源は破損、冷却系統は機能を失い、核燃料棒の「溶融」を誘発、放射能漏れを引き起こした。
三流は政治家だった。とりわけ内閣の優柔不断とチャンスを喪失したことにあった。地震は日本時間3月11日午後2時46分に発生、約1時間後、内閣は原発の全電源が損壊したとの報告を受けた。午後8時頃、内閣は電源停止の報告を受ける。専門家は皆、当時に果断を講じ原子炉格納容器内の蒸気を逃がし、圧力を減少させ、あるいは原子炉内部に注水することで温度を下げれば「溶融」を防ぐことができることを知っていた。しかしながら、午後8時から翌12日早朝までの10時間内に、東電は冷却措置を行わず、内閣も対策を強制しなかった。さらに危機の発生を受け、菅直人首相は12日午前6時になり、ヘリに乗り福島第一原発上空を視察した。これについて専門家は、首相がこの時すべき対策は冷却と「蒸気放出」であり、「政治ショー」ではなかったと批判する。このほか、東電は「勝手に」汚染水を放出、内閣は事の成り行きを全て公にせず、国際世論の批判を浴び、日本の国際的イメージが著しく損なわれた。加えて野党は政府の動きが足りないことを口実に、政治「停戦」の承諾を放棄した。与党内反対派にも管首相の指導力不足を批判、辞任すべきだとの声が上がった。政治家らは続々といかに「内閣打倒」で実権を奪取するか目論み、新たな権力闘争が幕を開けた。
国民、官僚、そして政治家は日本の社会構造を構成する要素であり、中でも国民は主権者で、官僚は行政の主体であり、政治家はリーダーシップの責任を負っている。しかし今回の「三重」の災難の中で、主権者は本分を尽くしたにもかかわらず被害を受け、行政当局は機械のごとく命令がなければ動かず、政治家には決断力が消え、三者に「三位一体」の協力は生まれなかった。「上下一心」がそら言となり、被災初期に国民が勝ち得た同情と称賛は、為政者の行動により大きく損なわれた。今後、東日本大震災後の復興過程において、いかに政治を安定させるかとの問題、あるいはいかに国民の信頼を取り戻すかという問題、さらに外交上いかに隣国と国際世論の信頼を得るかについても、日本が解決を迫られる課題となる。(上海国際問題研究院日本研究センター副主任 廉徳瑰)(「解放日報」より)
「人民網日本語版」2011年5月6日
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