輝ける開花
春の神が到来して万物に生命力をもたらしてくれたおかげか、大会にも転機が訪れた。桜が花盛りの季節、我々一行4人はついに長春への列車に乗った。精一杯準備して、積み重ねてきた闘志を胸に。
大会はすべてが緊張し激しいものだった。
大会日程の1日目は第1回戦で、すぐ翌日に決勝戦。しかし長春、大連の温度差が大きく、また連続2日間の緊張の波も加わって、朴光君はひどい風邪を患ってしまった。声も変わり、鼻水が止まらないありさま。安太紅君と金奉源君も気候風土になじまず体調不良に陥った。それでも決勝戦の前には夜を徹して復習した。決勝戦の当日、彼らが出場している時、回答のたびにスコアボードの得点が変わるのを見て私も緊張し興奮した。スコアが230点に留まり、戦績がすでに動かぬところとなった時、最初に吉報を知ったのは観覧席にいた私だった。その時は一瞬我を忘れ、少し的外れのような行動をとってしまった。卒業したての新人教官である私が、優勝者を迎える準備などちゃんとできるはずもなく、Vサインを作って舞台上の3人に振り続け、自分たちが優勝だと伝えたのだった。後でみんなにはそのサインでは誤解すると言われた。その時は2位だと思ったのだそうだ。今ならこうした笑い話をするのも気楽なものだが、当時は選手3人が下りてきた時4人ですぐ固まって抱き合い大泣きした。続いて「田舎の年寄り」に優勝報告の電話をかけたとき、電話に出た彼の開口一番が「チャンピオン! チャンピオン! 私たちがチャンピオン、東北で一番だ! 子どもたちはまた熱を出して、こっちはまた雨が降り出したけど…」だった。この栄誉の背後で、我々がいかに1歩1歩進んできたのか、寒い明け方や暗い夜に集まり、いかに信頼を蓄積していったのか、何人の人がこうしたことを知っているのだろうか。世界には奇跡など起こらない。ひとつ耕すことにより得られるのは、ひとつの収穫だけである。結果として「修行の成果」なのだ。努力して夢を追うことができるのは最も幸福なことだ。日本科学協会が夢を実現するこうした機会を与えてくれたことに、深く感謝している。
大きな収穫
学生たちにとっての準備期間中の収穫としては、習得した一定の知識もあったが、より重要なことはチームワークを身につけたことだ。第1回戦の後、私は学院長のショートメッセージに「毎朝の早起きを続け、厳寒に耐え、読み合わせをしてきたチームは強いのですよ」と返信した。毎朝あの寒い中、時間どおりに布団からはい出すのはとてもつらい。信念である。ゆえに、こうした試練によっても、彼らはこれから直面する課題に対してより落ち着いて対処できるようになったはずだ。また、今回の優勝は、財経大学の日本語専攻で学ぶ学生に対する肯定でもある。肯定を得られたと同時に、学生たちは自信を得ることもできた。これからは「東北財経大に日本語専攻なんてあるの?」と聞いてくる人たちにも堂々と胸を張って向き合える。日本科学協会がこうした独特な舞台を用意してくれたことに感謝しなければならない。この舞台は従来の弁論コンクールや型通りな作文大会と違い、学生の知識水準を全方向から見るものだ。日本語専攻の学生には方言が原因で発音になまりの出る子もいるが、日本知識クイズ大会はそういう学生たちにも開かれている。知識の深みと広がりをより重視する舞台であり、彼らに自分だけのものを持たせてくれる大会なのだ。
現在、我が東北財経大学の日本語専攻の学生は、日本の文化、文学、歴史などの課程に対する積極性が大いに向上している。こうした積極性はビジネス日本語知識を学ぶ積極性に引けを取らないもので、私のように文学や文化を担当する者にとっては非常に好ましい。大学機関誌『東財大学生』で我がチームが優勝したと伝えられたことにより、日本文化に興味を持つ多くの学生たちが大会に参加できないかと問い合わせてきている。これも好ましい現象だ。まさに戴季陶先生が『日本論』の中で「中国というテーマは日本人も解剖台の上で何千何百回と解剖し、試験管に詰めて何千百何回検査をしている。ゆえに彼らは中国についてこのように明瞭な認識を持っているのだ。しかし、日本に対する中国人はただひたすら反対を排斥して、再び研究をする努力を認めない。日本という字さえ見たくない、日本語も聞きたくない、日本人は見たくないという」書いていたとおりだ。戴季陶先生のこの話は、中国人の盲目的に排斥する現象を何点かずばりと指摘している。どういう文化にせよ、今日まで存在するものには尊重し学ぶに値するところはあるものだ。これは私が教員として、ないし長年の外国文化学習者として学んだ実感である。またこれは毎学期「日本文化」課程の最初の講義で必ず学生に話していることでもある。忠告とも言えるものだろう。中日両国は、文化面において複雑で入り組んだつながりがある。祖先の時代はずっと中国文化が日本に影響してきたが、近現代は日本文化も中国へ影響を及ぼしている。例えば、中国の近現代の優れた思想家、文学家には日本へ留学した者が多い。国父である孫中山先生、文豪の魯迅先生も日本で学び暮らしてきた。若い世代の人間として、より客観的、理性的な態度でじっくりとこの世界を観察し、この世界にあるそれぞれの文化をよく考察し理解するべきである。もちろん、そこには我々の隣人であり、何世紀もの間、深い関わりを持つ日本も含まれる。最近、本屋や当当網で『日本論』、『菊と刀』、『武士道』という国際的に認められた優秀な日本学の著作がベストセラーであることに気づいた。これも、我が国の人、特に、若者の日本文化に対する理解、探求心がますます深くなったことを表すものである。しかし、読書の過程で考え方をマスターすれば、過激になることはない。
今秋の南京、始まりを待つばかり
大会終了からもう何カ月もたった。我々も、大会のことは言うまでもなく、大会前後の様々なことについても絶えず振り返り、秋の再戦に備えている。あの日々を回想すると、みんなの間で「信用」が互いを支えていたと感じる。最初に指導教官の私は学生たちをとても信用していたため、必ずや「できれば1位獲得、少なくとも2位は確保」と話をしてきた。最大限に信用することが、知識を教えるほかにできる唯一のことだったのだ。彼らの私に対する信頼も励みになった。引率は初めてだったが、私が指摘した箇所については、みんなが無条件にすべてを把握し、覚え込んでくれた。彼ら3人も非常に息が合っていた。各人の用意するプレートは異なるため、絶対にチームメイトを信じないとできない。もう1つの力は、日本語専攻の教員や学生からの信頼である。彼らはキャンパスのフォーラムの中でずっと我がチームを励まし、祝福してくれた。私は今でも「珍しい花が開花する」、「長春がんばれ」などの表現を覚えている。
現在は、次の「笹川杯」に向けた準備が始まっている。舞台は依然として私の小さな研究室のあの机であるが、今度は心血を注いだ前回の資料が残っている。また、「東財の日本語」に属する無形のものもある。実際、「笹川杯」での優勝は我々4人だけではなく、日本語専攻のすべての学生に強力な強心剤となった。この強心剤の効力をより長続きさせられるよう、我々はいっそう努力して今年の全国大会に備えていかねばならない。
今秋、南京で! 東財の日本語が引き続き花開くことを約束しよう!
東北財政経済大学 蒋雲闘
2011年7月15日 夜明けの大連にて
人民中国インターネット版 2011年7月21日
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