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震災後の日本人 及川久仁子:千年の南部鉄器を継承

 

先ごろ、被災地の岩手県で及源鋳造の及川久仁子社長にお会いした。

及川社長は3月11日の地震の際、心臓がまるでぽんぽんと跳び上がるようだったという。「私たちの家業は鉄製の壺や鍋を造ること。出来上がった製品は棚に置いています。地震が来て、初めは左右に揺れ、と思うと今度は上下に揺れ動き、棚にあった製品が、ガラガラっと音を立てながら崩れ落ちてきました」。轟音、震動による恐怖にいきなり襲われ、工房の外壁は崩れ落ち、建物の地盤もまたたく間に沈下しはじめた。実際、及川社長はこの光景を思いだすのはいやだったろう。

工房の電炉にはまだ溶解中の鉄水があった。地震後に停電になり、鉄水が塊状になれば、溶解炉はすぐに封鎖しなければならない。「ちょうど自家発電機があったので、鉄水は固化に至らずにすみました」。及源鋳造は1852年の創業。明治政府の誕生より十数年も早く、これまで様々な危機に対応してきた。周到な準備を整えており、地震が発生し、多くの製品が損傷して廃棄処分となっても、少なくとも生計を維持する電炉は守りぬく。

原材料が著しく不足。日本は物流が非常に発達しており、きょう注文を受け、その日に関連会社に電話をすれば、だいたい翌日には材料が届き、すぐに生産を開始し、直ちに納品できる。在庫の減少は、原材料であれ、製品であれ、日本の大半の企業にとって財務上の負担が非常に軽くなる。中小企業が競争の中で経営を効率化し、行動が敏捷なのはこのためだ。だが、物流の途絶をまったく考えないとすれば、企業経営にどんな困難がもたらされるだろう。

「材料がなければ、生産はできません。大型のクレーン設備がなければ、工房は修理できません。地震で交通は停滞し、交通の停滞でガスや石油の供給はひっ迫しました。工房自体もわたしたちで修理できるところは修理しました。けれど、いずれにしろ、大型設備がなければ、わたしたちの能力にも限界があります」。及川社長はしかたないといった表情を見せた。

納期どおり顧客に製品を届ける、それができれば至上最高だ。「納品しなければならない、地震が起きたからといって納期を遅らせることはできません」。及川社長は手持ちの製品の数を調べ、すぐに運送会社を探して輸送してもらった。同時に、できるだけ自分たちの手で工房を応急修理した。「地震発生から17日目の3月28日、電炉が再び運転を開始し、生産が再開されました」。親しい人の誕生日を語るかのように、生産再開の日を覚えていた。

およそ1千年前、京都から岩手県の丘陵地を訪れた工匠が、上質の砂鉄を発見、すぐにここで様々な生活用品を鋳造した。上質の砂鉄がある日本のほかの地では、多くが日本刀の生産で有名だ。ここではむしろ過去千年の間、鉄壺や鉄鍋といった鉄器を製造する伝統が継承されてきた。

「震災後すぐに、私たちは再び鉄器を造り始めました」。及川社長は何度もこう語った。その言葉には千年の歴史のある鉄器を造り続けていく決心が込められている。そこには強い誇りもある。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年8月29日

 

 

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