『ピンポン外交の回想』出版記念式および中日友好交流都市・中学生ピンポン交流試合大会の調印式が12月21日、中国日本友好協会で行われた。前国務委員、中国日本友好協会の名誉顧問の唐家璇氏、愛知県日中友好協会会長の後藤淳氏、在中国日本大使館・山田重夫公使、『ピンポン外交の回想』の主編者の王泰平氏などが今回のイベントに出席した。
唐家璇氏は「当時の中国の指導者たちは小さいボールを使って、ピンポン外交を確立した。中米友好関係の扉を開いただけではなく、中日国交正常化を実現した。これは中国外交史上、非常に重要な節目となった。1971年、名古屋で行われた世界卓球選手権において、中国は文化大革命以来の連続欠場後、ようやく試合復帰を実現した。中日ピンポン外交に力をつくした後藤さん一家に感謝の意を表したい。当時、私は中国ピンポン代表団のスタッフとして、約50日間名古屋で行われた卓球大会の関連活動に加わり、この重大な歴史的イベントを経験した。毛沢東元主席、周恩来元総理が外交分野で発揮した傑出した知力と深遠な計略に私は深く影響を受けた。私にとって今までも非常に大切な思い出となっている。中日両国は一衣帯水の隣国で、両国の友好関係はアジア、ひいては世界において重要な役割を担っている。来年は中日国交正常化40周年の佳節で、私は一連のイベントをきっかけとして、中日両国が多くの分野、方面、ルートで人的文化的交流、なかんずく在席の皆様が従事しているスポーツ交流を通じて、両国の友好関係をさらに促進できることを期待している」と述べた。
1971年の春、中国の「ピンポン外交」は、小さな球(ピンポン)で大きな球(地球)を動かす」といわれたように、中米関係の扉を開いた。中米外交打開の舞台となった第31回世界選手権に、中国卓球選手団を参加させるために尽力した一人の日本人がいた。当時の日本卓球協会会長で、アジア卓球連盟会長でもあった後藤鉀二氏の息子、後藤淳さんは「1971年から今まで、さまざまな友好交流イベントを行ってきた。今年はピンポン外交40周年にあたり、4月10日に愛知県で『日中友好ピンポン大会』を行った。また、8月に『ピンポン外交40周年記念写真展』を開催し、約5万人が見学した。9月には愛知県体育館で『後藤杯ピンポン大会』を行い、1971年名古屋で行われた世界卓球選手権に参加した選手たちを招いて、当時の忘れがたい記憶を掘り起こす機会を得た。今回の『ピンポン外交の回想』という一書の出版を通じて、より堅固な友好関係の確立を望む」と語った。
『ピンポン外交の回想』出版記念式および中日友好交流都市中学生ピンポン交流試合大会調印式であいさつする中国日本友好協会の井頓泉副会長(12月21日撮影)
あいさつする在中国日本大使館・山田重夫公使(12月21日撮影)
『ピンポン外交の回想』出版記念式および中日友好交流都市中学生ピンポン交流試合大会調印式であいさつするこの本の主編者・王泰平さん(12月21日撮影)
中日友好交流都市中学生ピンポン交流試合大会調印式でサインする中日両国の関連者たち(12月21日撮影)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年12月21日
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