日本の若者向け雑誌にはよくファッションモデルの「押切もえ」が取り上げられている。169センチの長身に、見た目の可愛さ、公式ツイッターでは彼女の「つぶやき」を見ることができ、日本国内で人気のタレントになっている。たいていの人は彼女のことを「もえ」と呼び捨てにする。そのため私は長い間、「萌え~」という言葉を聞いても、押切もえのことを言っているのだとばかり思っていた。誰かが押切もえのファッションについて語るのに相槌を打ちながら、「私も流行りに敏感になったもんだ」と勘違いしていたものだ。
オタクの街・秋葉原には「萌え」要素が満載している。これはただのファッションモデルによる影響ではなさそうだと、私も少しずつ分かって来た。ウィンクしながら指で自分の頬を突付くアニメキャラを見て、学生らが「萌え~、萌え~、燃える~」と連呼する。日本語の「燃え」は「萌え」と同じ発音であるが、「萌」を「燃」と同類語にするなど、中国語では考えられないことである。すでにオジサンの域に達した私にとっては宇宙語といってもよいほどだ。
我々の理解では「萌え」は枝の先から新芽が出てくることである。新しく芽生えたか弱い命が、強い生命力を以って様々な自然の苛酷さに打ち勝っていく様子が脳裏に思い浮かぶ。だが日本の「萌え」は、アニメや漫画、ゲームの中では特に、ある登場人物だけが持つ特殊なイメージを表すものであり、見る者をキュンキュン、ドキドキ、ワクワクさせる要素を持つものである。日本の学生らはよく、興味のある対象、好感を持てる行動、手の届かないものへの希求などを語る際よく「萌え~」という言葉で表現する。秋葉原で可愛いアニメキャラを目にする度に、それが家で何度も見ているキャラクターであったとしても、友達と一緒に「萌え~」と叫ぶのである。想像上の人物がリアルとなって自分に会いに来たかのような、そんな身体の内側からわき上がって来る喜びを表す言葉になっている。
「萌え」という言葉は若者だけが使う言葉というイメージがあるが、ここ数年「萌え」は、国民の間にすっかり定着してしまっている。政府が出版する著物にも萌え系キャラクターが使われ始めている。こうした書籍や宣伝資料を若い人が手に取りやすくするためであろう。原子力発電所や大型発電所の宣伝用資料にも、萌え系の漫画キャラクターが数多く載せられているほどだ。「原子力発電はクリーンでエコで安価」というイメージを小中学生に植え付けようという魂胆であろう。こうした萌え系キャラクターのイメージが現実とは大きく隔たっている感覚を抱くことは禁じ得ない。
だが日本人は普通そこまで考えないのかも知れない。大げさに表現された漫画や文章こそ人の心を打つものであるからだ。日本文化の「萌え」は単なる「キュンキュン」ではなく「めらめら」と燃えさかる感覚も伴っている。「萌え」の意味を知らなかった頃は、実に理解に苦しんだものだが、今ではすっかりお馴染みの言葉になってしまった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年2月21日
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