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震災から1年、在日中国人たちの協力続く

 

東日本大震災発生から四十九日に当たる昨年4月28日、宮城県女川町で行われた合同慰霊祭。

未曾有の巨大地震が東日本を襲ってもうすぐ1年。復旧活動を少し垣間見るだけでも、当時の悲しみはまだ多くの人の心に傷跡として残っており、災害の深刻さや復興への道は険しいことを知ることができるが、それでもそこに美しい人間性など復興に向けた光をもはっきり目にすることができる。節目の1年を迎えるに当たり、在日中国人も、各種のボランティア活動に参加することによりいっそうの思いを傾け、日本の復興に貢献することが望まれる。日本で華人向けに発行されている新聞「中文導報」が報じた。

▽仙台、鎮魂と追悼の花火大会計画

筆者が以前、在日公益団体「日本中華総商会」と共に支援活動に訪れた仙台市は、震災前日の3月10日夜、「仙台 鎮魂と追悼の花火大会『天国にぶっ放せ!』」を開催。2万発の花火が夜空に打ち上げられる予定だ。主催する震災復旧支援活動を粘り強く行っている任意団体「スコップ団」の担当者は、「3月10日という日を選んだのは、決して忘れてはならず、心から感謝を述べるべきなのがこの日だから。去年のこの日、普通の日常生活が続いており、平凡でもそこに幸せがあった。一方の11日は特別記念する必要はないが、決して忘れられない日。3月10日に続いていたあの幸せが永遠に続いてほしい……」と語った。  また、震災後間もないころについて、「停電が続き、大地震の正式名称もつけられていない時、スコップ団の成員は絶望に浸っていた。電気も、食べる物もなく、甘いものが最高級のぜいたく品になった。一かけらのチョコレートに、大の大人が涙をこぼした」と語った。

3人から始まり、今では1千人以上を数えるまでになった「スコップ団」。立ち上げのきっかけは非常に単純で、被災地で亡くなった大切な友人の三女が誕生日を迎えると知った今の団長が、たいへんな状況だが、何かプレゼントできるものはないかと考え、今贈れるもの、それは1日も早く、彼女の母親の命を奪った津波が残したがれきの山を撤去してあげることと考えた。そして、友人と3人で活動を開始。始めたばかりの頃は、がれきの片付けをずっと行い、スコップ団が発展していくとは思いにもよらなかったというが、片付けが一件終わると、周りの住民たちがやってきて、自分達の所の片付けも手伝ってほしいとお願いされるようになった。そうしているうちに、参加者が増加し、ノウハウも分かってきて、2時間もあれば津波に襲われ廃墟となった家一件を片付けられるようになった。これまでに、片付けた家の数は200件に上る。

がれきの撤去以外に、スコップ団は、被災地で誕生日を迎える子どもたちに誕生日ケーキを届けるという活動も行っている。1つ目のケーキは、がれきの山から、やっとの思いで探し出したバターと卵で作ったもので、あの友人の三女に送り、地震後初めて微笑んだという。

花火大会を目前に控え、現地の各ボランティア団体が準備を進めており、「天国にいる人に花火を贈り、自分達は元気にしていることや3月10日に対する感謝を伝える」とスコップ団。

東日本大震災発生から四十九日に当たる昨年4月28日、宮城県女川町で行われた合同慰霊祭。

▽各種ボランティア活動に参加する在日中国人

3月3日、神奈川県川崎市の国際交流センターで、多文化シンポジウム「外国人の立場から考える地震災害」が開催され、ボランティア活動を続けてきた在日中国人・招杏明(ジャオ・シンミン)さんもパネラーとして登場する。

川崎市で広東料理店を営んでいる招さんは、来日20年以上といい、第二の故郷ともいえる日本の震災に心を痛めている。招さんは夫や友人と一緒に、何度も福島県を訪れ、被災地で炊き出し行った。例えば、地震発生後間もない昨年4月、福島のボランティア関係者に頼まれ、自身の店を閉めて、福島県いわき市へ向かい、被災者50人に、昼は牛肉煮込みやはるさめ料理を、夜はザーサイと肉の炒め料理を提供した。事故を起こした福島第一原発に近いいわき市は当時、立ち入り禁止区域になるのではないかと懸念されたため、救援物質の搬送をためらう人も多かった。そんな状況を知った招さんらは、温かいご飯を届けたいと希望したといい、「現地では当時、物資も比較的充実し、ガソリンスタンドにガソリンもあり、被災者らは『特に不足している物はない』と言っていた。でも、食べる物といえば、パンやおにぎり、缶詰などばかりだったため、『今後は料理したものを、真空パックにして冷凍したものを送ることを伝えた」と話す。

招さんら以外にも、多くの在日中国人がボランティア活動に参加してきた。堆積した泥の洗浄作業に1週間参加したという朱惠雯さんもその一人で、「作業をした当時、どこを見渡してもボランティア志願者があふれていた。ボランティアチームの人もいれば、大学生やキリスト教会の人もいた。それらの人は組織や団体の垣根を越えて人手が必要な場所へ行き、臨機応変に協力していた。その息のあった姿はこれまでずっと一緒にやってきたかのようだった」と話す。

地震や津波、原発事故による放射性物質の恐怖を経験したにもかかわらず、多くの中国人が依然として日本で生活し続けていることを見ると、日本で身を固めたいと願っている中国人も多いということだろう。険しい日本の復興の道に、中国人も共に臨む覚悟なのだ。

 

「人民網日本語版」2012年2月24日

 

 

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