「中国革命撮影家」として有名な故・沙飛氏の作品-「聶栄臻と日本の少女」を撮った写真がある。この写真は、百団大戦(抗日戦争中の1940年8月にかけて、100連隊以上の共産党軍が旧日本軍に仕掛けた戦い)の時に、山西・察哈尓・河北軍区を指揮していた聶栄臻元帥が美穂子という日本の少女を戦火の中から救い出した時の様子を撮影したものという。今年5月5日、美穂子さんの娘・中村留美子さんが中国を訪れ、河北英烈記念園で開かれた「中国革命撮影家」沙飛生誕100周年記念行事に参加し、母親が受けた恩に対する感謝の気持ちを伝えた。河北青年報が報じた。
▽「聶元帥が日本人孤児を救う」写真に日本人が感動
「中国革命撮影家」沙飛生誕100周年記念行事・沙飛撮影シンポジウムが5日、河北省英烈記念園で開催された。日中友好協会全国理事を務める日本沙飛研究会の来住新平会長や日中友好協会都城支部の中村留美子理事(美恵子さんの娘)ら9人の日本人が参加した。
沙飛記念館で「聶栄臻と日本の少女」の作品を見た中村留美子さんは、「母はよく、聶栄臻元帥が戦火の中から母を救出してくれたことを話してくれます。お蔭さまで母は今、7人の孫に恵まれました。私たち家族全員は、聶栄臻元帥に感謝しています」と話した。
▽約3万人の日本人が抗日戦争写真展に来場
沙飛氏はこのほかにも、「ベチューン医師、八路軍の負傷兵を救う」「古長城での戦闘」などの貴重な写真を残している。
来住会長は、沙飛写真展の見学を終え、「戦争とは残酷なものだが、これらの写真はヒューマニズムに満ち溢れている」と感想を漏らした。日本沙飛研究会は、2008年から日本で「沙飛写真展」を開催している。これまでに東京など30都市で巡回展を開催、2万7千人以上の日本人が来場し、日本国内ですこぶる大きな反響を呼んだという。
来住会長はさらに「多くの日本人大学生が、沙飛氏の写真を見て、日中友好協会の会員になりたいと言ってきました。写真展の開催規模はまだ十分ではありません。より多くの日本人に観てほしいと思っています」と今後の抱負を述べた。
<解説>聶栄臻と日本の少女
百団大戦が繰り広げられていた1940年8月中旬、山西・察哈尓・河北軍区の一分区三団一営の兵士らが、河北省石家荘市井上ヨ鉱区の戦いの中、日本の少女2人を救出した。
同軍区の指揮をとっていた聶栄臻元帥は、この2人の世話を焼き、爆撃で足を負傷していた1人に治療を施した。その後、聶栄臻元帥は2人が日本に帰国できるよう、現地の農民に日本の兵営まで送らせた。
「人民網日本語版」 2012年5月8日
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