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講演に立つ鹿毛隆郎氏 |
中日国交正常化40周年を記念し、7月21日、北九州市立大学の学生サークル「中国言語文化研究会」(中文会/顧問・葉言材先生)と「九州地区中国留学人員友好聯誼会」(九州地区中国学友会)が、北九州市立大学で「日中友好学生交流活動」を行った。日本側参加者は、北九州市立大学「中文会」の1、2年生、中国側では九州大学、立命館アジア太平洋大学、福岡教育大学、福岡国際大学、九州国際大学、早稲田大学北九州校、九州工業大学、北九州市立大学の8大学に通う中国人留学生が参加した。
交流活動は昼から始まり、まず鹿毛隆郎(かげ・たかお)氏の「恩讐を越えた友情」と題する講演が行われた。北九州市出身の同氏は1959年に早稲田大学卒業し西日本新聞に勤務、2度中国特派員として中国に赴いた経験を持ち、現在は九州中国研究会会長、九州日中平和友好会会長を務める。
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中国語で歌を披露する日本人学生たち |
講演の中で同氏は、旧日本軍の隼戦闘隊に所属する兵士と軍属360人に関する知られざるエピソードを紹介した。彼らは中国東北民主連合軍(八路軍)の捕虜となったが、中国の軍幹部の要請によって、中国人民解放軍空軍創設に関与し、中国の兵士に飛行技術や飛行機のメンテナンス、気象観測などに関する技術を教え、揺籃期の人民解放軍空軍に大きな貢献をした。彼らは解放戦争を通じて新中国成立の全プロセスを目の当たりにした。その後、朝鮮戦争が停戦するまで中国東北地方で生活し、1953年にようやく帰国したのだった。敗戦国の軍人が戦勝国の空軍創設に協力するというのは、世界史上でもきわめて珍しいことだ。この経緯のため、彼らは帰国後多くの人から差別を受け、監視され、多くの不便を伴う生活を送らなければならなかった。1978年、彼らは日中平和友好会を設立し、96年には九州日中平和友好会もできた。当時共に空軍創設に力を尽くした中国側の軍人とは、現在でも友好関係を保っている。平和を祈るため、彼らは毎年、当時空軍創設にかかわった黒龍江省密山市を訪ね、現地の中高生と交流し、日本語を学ぶ学生に「学童育英基金」を贈り続けており、これまでに300名以上の生徒たちが支援を受けている。半世紀が過ぎ、一部の人たちは年齢を経て体が弱り、また亡くなった人もいる。それでも彼らは毎年密山の定期的訪問を続けているという。
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二胡を独奏する中国人留学生 |
プレゼンテーション・ツールを使って中国の楽器を紹介 |
講演終了後、中日双方の青年・学生たちは次々と感想を語った。「幸運にもこの講演を聞くことができ、知る人の少ない歴史の逸話を知ることができた」「共に空軍創立に力を尽くした中日両国の軍人は、ドラマチックだが現実の、恩讐を越えた崇高な精神を備えていたと思う」「この歴史と精神を忘れてはならない。中日両国間の平和は多くの人の苦労の末に得たもので、両国の幅広い若者がこれを理解・重視し続けることが必要だと深く感じた」などという感想が聞かれた。
続けて、中日学生たちの交流が行われ、それぞれが出し物を披露した。「五星奨」訪中遊学団に参加したことのある北九州市立大学の日本人学生たちがチーパオ(チャイナ・ドレス)姿で中国語の歌を披露し、中国語で日本と中国の歴史物語と伝説を語った。中国側の留学生は二胡で『二泉映月』を独奏し、プレゼンテーション・ツールを使って中国伝統楽器や新疆ウイグル自治区の概況について紹介した。また、ウイグル族のグリギナさんがウイグル族の民族舞踏を披露した。
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民族衣装に身を包み、ウイグル族の踊りを紹介するクリギナさん |
スナックをつまみながら歓談する中日の学生たち |
今回の活動は、4時間以上にわたり、日本人学生50人前後、中国人学生30人前後を含む百人近い人たちが参加した。
人民中国インターネット版 2012年7月23日
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