1972年9月29日の国交正常化以来、今日ほど中日間の意志疎通が困難で、領土問題で国民感情が強烈に対峙した時期はない。経済的には協力関係を深め続けているが、政治レベルではこれに歩調を合わせた発展はない。「四十にして惑わず」と言うが、中日関係は40年間歩んだ結果、国交樹立時の「小異を残して大同につく」精神が次第に忘れられ、「小異」を認めないことから始まり、中日間の原則的な溝が拡大している。(文:陳言・日本問題専門家、日本産網站CEO)
ソ連崩壊後、日本は国防の重点を大幅に調整した。朝鮮に対する防備の名目で防備の主力を南西方面に配備すると同時に、日米軍事同盟の規定を見直し、日米共同で中国を牽制する態勢を築いた。こうした態勢ができれば、外交面で中国と「小異を残して大同につく」必要はもうないらしい。民主党内閣が釣魚島の領有権問題の存在を認めず、問題の解決に国内法を繰り返し使用していることは、中日関係に生じた明らかな変化を示している。この変化は中日国交正常化以来の原則的精神の全面的な否定であるのみならず、中日関係の今後の再安定化をひどく困難にするものだ。
■日米軍事同盟の特殊な意義
中日間の東洋式の「小異を残して大同につく」外交精神を放棄するため、日本はすでに様々な準備を整えた。
日本はまず日米軍事同盟を強化した。これは自民党時代から続く日本の一貫した主張だが、現在の民主党内閣は同盟の役割を一段と重視している。野田佳彦首相が訪米時、米国民にまず強調したのは、自分が軍人の子で、小さい頃から軍隊の環境で成長したということだ。釣魚島問題では、いつでも軍を用いる構えであることを日本で繰り返し強調した。日米軍事同盟がある以上、東アジアでの軍事衝突の発生は恐れない。今日の日本は軍事力で対峙するためのあらゆる準備をすでに整えている。
同盟の意味については、日本のエリートは中国との対峙という側面を強調しすぎ、同盟に対する真の理解をおろそかにしているようだ。プロイセンの鉄血宰相ビスマルク(1815-1898年)は同盟に対して極めて奥深い見解を有していた。同盟とは強国による弱国の支配だと考えていたのである。ビスマルクが生涯最も重視した外交方針は「神聖同盟」だ。この同盟はドイツ国家の統一と欧州におけるドイツの覇者としての地位を意味し、決して欧州に平和と安全をもたらすものではなかった。
日米同盟の強化は日本が米国による支配を認め、独立を放棄し、アジアにおける米国の一部になることを意味する。この同盟の強化は、米国のアジア戦略に従うことである。米国は東アジアで中国を牽制する比較的強大な国家を必要としているが、この役割を発揮できるのは日本しかないのである。政治的、軍事的に米国との同盟関係を強化し続ける東アジアのこの国が、外交・軍事面で米国の必要に従うのは自然なことだ。日本が自国の実際の利益を顧みることは困難で、米国と他の国が築いている緊密な関係に対して見て見ぬふりすらする。
日本が米国との関係を強化している時に、日本に外交面での中国接近を期待するのは幻想だったようだ。この幻想は期待が大きいだけ、失望も深まる。経済成長および主権の独立の面から日本に対して行ういかなる分析も無意味となる可能性が高い。日米関係が緊密化するほど、中日間の「小異を残す」は困難になる。中米関係の変化も、こうした状況を変えることはできない。
■ますます消える「小異を残す」精神
中日国交樹立時に推進力となったのが小異を残して、両国の実益の最大化を図る精神だ。だが今日の中日関係の大幅な後退は、この「小異を残す」精神が欠けていることに由来する。
民主党首脳は釣魚島問題について「尖閣諸島(釣魚島の日本側呼称)は日本固有の領土だ」「(日中間に)領土問題は存在しない」等と、あらゆる場で同様の言い回しをしている。「固有の領土」の意味は各国で理解が異なり、ここでは論評しない。だが国交正常化交渉開始時から、釣魚島の帰属について中国が日本との交渉を放棄したことはないことは誰もが知っている。中国が異議を唱えたことは、領土問題の存在を示す。領土問題が存在しないと言い張るのは、「小異を残す」精神の全面否定に等しい。
釣魚島問題の助けを借りて名声を求め、大局を撹乱する右翼および下心ある政治家や地方自治体の首長のやり方も、領土問題が確かに存在することを物語っている。東京都が群馬県の一部土地の購入を考え、群馬県の一部地区は東京都の飛び地になることを望んでいるとする。こうした売買について異議を唱える周辺国はない。だが釣魚島は明らかに違う話だ。「小異を残す」ことを認めないから、右翼や地方自治体の首長が騒ぎ立てることができる。さもなくば東京から1千キロ以上も離れた釣魚島で騒ぎを起こすことに関心を持つ人はいない。
「小異を残す」精神のフェードアウトは日米軍事同盟の強化の結果であり、中日関係の処理において冷静からはほど遠い民主党は外交政策の変化を洗いざらいさらけ出すにいたった。中日国交正常化40周年の今年、現状を改変するには、両国は国交正常化時の「小異を残して大同につく」精神に立ち戻るほかない。だが日本側を見ると、実現の可能性はほぼないようだ。(文:陳言・日本問題コラムニスト/日本産網站CEO)
「人民網日本語版」2012年8月31日
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