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九州地区の中国人留学生が「楊貴妃炎の祭典」に参加

 

王峰=文

日本の庶民の間には、楊貴妃は安史の乱の折に死を賜ったものの、実際に死んだのは侍女で本人は高句麗から船で日本の山口県まで逃れ、そこで亡くなったという伝説が根強く残っている。山口県の長門市には、実際に「楊貴妃の墓」が存在する。

楊貴妃像

2012年10月7日、山口県長門市の楊貴妃炎の祭典実行委員会の招きを受けて、九州地区中国留学人員友好連誼会(九州地区中国学友会)が組織した九州大学、立命館太平洋大学、九州産業大学、山口大学、九州外国語学院などからの中国人留学生50名余りが、長門市油谷向津具下で行われた「第2回楊貴妃炎の祭典」に参加した。

祭典では、来賓のあいさつに続いて、幼稚園児らがお遊戯、小学生が勇壮な太鼓の演奏を披露した。これに対して、中国からの留学生たちは獅子舞、葫蘆絲(フールースー=ひょうたんに管を挿した楽器)や二胡の演奏、新疆の民族舞踊など、中国の伝統的演目を紹介した。

九州地区中国学友会のメンバーは新疆の民俗舞踊や二胡の演奏を披露した

小学生たちが伝統の油谷太鼓を熱演

幼稚園児たちのお遊戯

 

その後、祭典のメーンイベントとなる「火渡りの儀」が行われた。祈祷に使われる3本の護摩木には、中日友好と世界平和、地域の繁栄と隆盛、人々の健康と平安の祈りが書かれていた。山伏が経を読んだ後に、広場の儀式場所に入り、4人の山伏が破魔矢、剣などで邪気を払い、清めを行って、積み上げられた松の枝に火をつけた。8人の山伏が燃え盛る火を囲んで楊貴妃を護る問答を行い、楊貴妃の魂が烈火のもとで生まれ変わることを祈った。その間、中日友好などの文字を書いた護摩木を火の中に投じ、山伏たちが寺院で書いた護摩符を焚き上げた。炎が静まった後、山伏たちは裸足で炭の中に入りそこを歩き渡った後、一般の参加者も次々と火渡りを行った。この火を渡ると健康に過ごせ、願いがかなうという。

 

人民中国インターネット版 2012年10月29日

 

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