在中国日本大使の丹羽宇一郎氏が28日、2年4カ月の任期を終え、退任し帰国する。日本大使館報道官もこの情報を確認している。
日本大使館報道官は、26日、丹羽大使と日本報道機関との座談会で、丹羽氏が自らの在任期間を振り返り、今後の中日関係について、冷静に大局から出発し積極的なことをすべきであると指摘したと明かした。
丹羽大使はビジネス界の出身で、退任後の去就についてはこの日はっきりと答えなかった。「今後は個人的に中日関係に貢献していきたい。中日両国はお隣さんの関係だという人がいるが、近隣関係なら引越しもできる。しかし両国は引っ越すことはできないので、友好関係を持つしかない」と語ったと日本メディアが伝えた。
「釣魚島で始まり、釣魚島で終わった」
丹羽宇一郎氏は2010年7月に在中国大使に着任、日本で初めての民間出身の在中国日本大使だった。1980年代の中国改革開放初期にはすでに、伊藤忠商事から派遣されて中国駐在を経験している。対中業務に長け、中国での人脈も広く中国事情に精通していた。
26日、丹羽大使はこの座談会でこれまで訪れた多くの中国の都市や省に、深い印象が残っていると語った。日本大使館報道官によれば、丹羽氏がよくいっていたという「百聞は一見にしかず、自分で行って見て聞いて、初めて真実の中国がわかる」との言葉を伝えた。
また、この座談会で丹羽大使は自らの在任期間を振り返り、「釣魚島で始まり、釣魚島で終わった」と語った。
まさに丹羽氏の言うとおり、2010年夏に着任後、9月には中日漁船衝突事件が勃発し、外交経験があまりなかった彼は初めての外交危機に巻き込まれた。2年を経て、日本の「島購入」騒動でまた釣魚島の波風が湧き起こった。今年6月、丹羽氏は英紙・フィナンシャルタイムズの取材で石原慎太郎の「島購入計画」について「もしこれを本当に実行すれば、中日関係は深刻な危機に直面するだろう」と批判した。この発言が日本で大きく物議を呼んだ。その後、野田首相は釣魚島国有化方針を打ち出し、中日関係が緊張する中、丹羽大使が乗っていた公用車の日本国旗強奪事件が発生したのだった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年11月27日
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