改革開放以降、中国人はあらためて扉を開き世界を見た。欧米化の波にさらされることは問題とならないのに対し、日本に目を移した途端、歴史的なわだかまりを払拭できない人は多い。しかし、この隣国に対して抱く個人的見解の如何にかかわらず、それは真の理解の基礎の上に構築されなければならない。成都商報が伝えた。
■我々は本当に日本を理解しているのか?
中国人は当然、ある程度日本のことを理解している。都市で働くOLはイラストレーターのたかぎなおこが描く日本が好きだ。文学的若者、プチブルは村上春樹の描く日本を好む。日本旅行に行った人達は、帰国後は大概、日本がいかに清潔か、あるいは日本での買い物は値切れないと話す。
■過去の知日派の困惑
甲午戦争(日清戦争)で大国・清は敗戦、中国人は日本を再認識し、島国に学ぶべきものがあると感じた。1898年の戊戌の政変(百日維新)失敗で、民国初の政治家・梁啓超は日本に亡命した。清朝が覆される過程で、無数の人が革命を志し、日本を革命の拠点とした。激動の時代に距離的に近く、渡航費も手軽なことから、多くの青年が日本に留学した。うち、もっとも著名なのは無論、魯迅、周作人の周氏兄弟だ。
現代中国人が書籍で描いた日本は、大きく分けて3つの段階に分けられる。清代末期の黄遵憲、梁啓超らが発端であり、日本がなぜ大国・清に戦勝できたかを主軸に日本を観察、学習する態度を示した。魯迅、周作人は第二世代の代表で、日本での学習・生活は非常に長く、日本語は流暢で、帰国後の中国で新文化運動に携わった。これらの作家の著作の根底には、日本文学の影響が見られる。
新中国成立後、1972年に中日国交正常化は実現したが、一般人の訪日は、改革開放まで待たなければならなかった。一方、日本語学科がつぎつぎに開設され、日本への留学生も増え始めた。この世代になると日本を記したものは非常に多いが、この世代は「裸眼で日本を見る」ことは難しい。いわゆる裸眼とは、先入観や色眼鏡を捨てたものだ。見下すわけでもなく、敬うわけでもない。非常に深く掘り下げて理解する一方、客観的に割り切ることも出来る。
■複雑になるほど見えてくる真実の日本
現実の中の日本人女性には武士道精神が時折見受けられる。日本人女性のダンスはしなやかだが、まるで吠えているかのような太い声で歌をうたう。近年女の子の名前には「凜」が多く用いられている。「威風凜凜(威風堂々)」の「凜」だ。
裸眼で日本を見た際に、発見するのは複雑な日本であり、よりリアルな日本である。たとえば芸者だ。「日本で伝統文化を継承する誇り高き人達は、大いにもてはやされるべきだが、実際には早くに衰退した。今や大枚をはたいて芸者を呼ぶ日本人がどれほどいるのか?大相撲観戦もしかり。一般市民は自宅に閉じこもり、テレビを見ているだけ」
たとえば武士道。「民族主義が強調されていた時代。長い間積まれたままの古書から探し出され日の目を浴びた武士道を唱える言葉は、国民道徳に当てはめられ、西欧列強に対抗するために利用された。これ以降、武士道は不断に随意加筆され、必要な際に適宜取り上げられ、まことしやかに述べられた。武士道に関する論説主張は、武士道とはいかにあるべきかを説くと同時に、人々にそれが真のあるべき姿であると誤解させた。日本人は感動し、自らを武士道伝承者とみなしているが、それは小説や芝居の文学創作にすぎない」……。ああ案の定、冷めた目で傍観する語り口だ。
以上の3章はいずれも、在日作家・李長声氏の著作「紙上声」の一節にすぎない。しかし本書が単に日本の芸者と武士道を記した本だと誤解しないでほしい。主要な内容は日本文学についてであり、芥川龍之介、夏目漱石、太宰治ら日本の文豪の姿が、李長声氏の筆によってそれぞれ見事に甦っている。
表題「紙上声」は魯迅の詩、「文を弄して 文網に罹(かか)り 世に抗して 世上に違う 積りし毀(そし)りは 骨を銷(とか)すべく 空しく留む 紙上の声」が由来となっている。この詩は、魯迅がある日本人に小説集「とっかん」(口へんに内、口へんに咸)を贈った際に題したものだが、李長声氏の文章は決して魯迅の「とっかん」から学んだものではなく、周作人から学んだものである。彼は芥川龍之介の自殺についても記している。「芥川は『周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目の当たりに見て生きるのは苦しい』と感じた。振り返って中国の作家を想うと、彼らは周りの醜さだけを見て、己は活き活きと暮らしている。存分に生き抜き、小さな苦しみにもほんのりした甘さを携えて」。芥川についての章題は「芥川は諦めに似た沈黙だった」。
「人民網日本語版」2013年8月21日
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