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抗日戦争の体験者が語る戦争の記憶

 

1937年7月7日、盧溝橋に響いた一発の銃声が、中国の全面的抗日戦争の幕を切って落とした。中国人はその後8年にわたって、中国共産党の呼びかけで組織された抗日民族統一戦線の下に集まり、日本の侵略者に抗い、世界の反ファシスト勢力とともに戦い、抗日戦争の勝利を獲得した。77年後の7月7日を迎えるにあたって、この戦争を体験したご老人に苦難の歴史について語っていただいた。彼らの記憶が、歴史を銘記し、平和を希求する私たちの力となることを願う。新華網が伝えた。

劉桂英さん。1920年湖南省長沙生まれ。1942年、医療班の看護兵として中国遠征軍とともにミャンマーでの抗日戦争に参加した。同軍が1942年5月に開始した「野人山撤退」で唯一生き残った女性兵士として知られる。

「野人山撤退を始めた時に5人いた看護婦が、森を抜けた時には私1人になっていました。ほかの4人は飢餓や傷病で犠牲となりました。数万人いた部隊のうちで生き残ったのは3千人余りにすぎません」。この記憶を振り返る時、劉さんはいつも、悲しみを隠すことができないという。戦争は多くの人に耐え難い苦しみをもたらした。劉さんは、野人山撤退で犠牲となった戦友を忘れることはない。劉さんは定年後、安徽省党委員会の施設内に暮らしている。中国政府は2006年、「中国人民抗日戦争勝利60周年紀念章」を劉さんに授け、抗日戦争での勇敢な行動をたたえた。

映写されているのは、1942年初め、ミャンマー作戦に向かう中国遠征軍。

 

葛禹平さん。1924年江蘇省宿遷生まれ。現在は安徽省合肥に暮らす。1940年、抗日戦争に身を投じ、新四軍第3師団の地方における後方勤務と若者や学生の動員を担当した。

葛さんは今でも、当時の自分と同じような若者や学生のことを思い出す。国家の危機を救うという志を胸に抗日戦争の最前線に身を投じた彼らの中には、戦場から戻ることのなかった人が多くいる。特別な時代に生まれ、愛国の情を持って抗日戦争に自らを捧げた若者や学生は、心からの尊敬に値する。中華人民共和国建国後、葛さんは安徽省内の県や市で定年まで働いた。

映写されているのは、1942年、練兵場へと行進する新四軍第3師団第9旅団部隊。

 

 

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