フィリピンの申し立てによる南海にかかわる国際仲裁裁判の裁定が下った。メディアには「中国完敗」「無法、不法の中国」という言説が溢れる。「天安門事件以来の打撃」と見出しを打った中国を専門とするジャーナリストもいた。「国際法による秩序の発展に責任をもつ国になるのか、それとも秩序に挑戦する国か。中国の習近平政権は、その岐路にあることを自覚すべき」と社説。会う人、会う人、「どうですか中国は…」と含みのある複雑な笑みを向けてくる。してやったりの表情もあれば、困惑の貌もある。
時代錯誤の「中国包囲網」
戦後世界の海洋秩序を形づくる大きな契機は、1945年、米国大統領トルーマンの「大陸棚宣言」にはじまる。その後「大陸棚に関する条約」を経て、82年採択の「海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)」で、領海,接続水域,排他的経済水域,大陸棚,公海等の海洋秩序に関する包括的な「概念」となった。すなわち、現在われわれが海洋秩序という時、前提としているのは、米国による戦後世界構築の一環に位置づけられる秩序概念である。しかし、中国は主権については「歴史的主権」概念に立って発想し、主張していることに留意する必要がある。ちなみに、国連海洋法条約を米国は批准していない。
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2016年8月9日、日本の岸田文雄外相は、中国の程永華駐日大使を呼び出し、中国の東中国海における正常な作業について抗議した。(写真=日本サイト) |
問題の核心は何か。中国は、戦後世界の米国単独覇権にもとづく秩序に対して異議申し立てをし、新たな秩序形成に向けての決意を示しているのだ。これが、いまわれわれが目にしている「中国をめぐる言説」の背景に存在する構図である。
そこで、安倍政権の対中国観である。第二次政権の座について以来、64の国・地域を訪問(延べ94の国・地域*2016年7月現在)。その足跡をじっと見つめてみると「中国包囲網」への強烈な意思が見えてくる。
「日本外交の閉塞を、安倍は瞬時に逆転し、日本の外交的活路を、凡そ考えられる限り最大限に展開して、瞬く間に対中包囲網を整えた」(「国家の命運」小川榮太郎2013)と「安倍シンパ」から高く評価される所以でもある。
思い起こすのは二度目の政権につくのと時を同じくして発表された「アジアの民主主義 安全保障ダイヤモンド」構想だ。150カ国、400をこえる新聞をはじめノーベル賞受賞者、著名な経済人など「錚々たる」メンバーによって構成されるNPO「プロジェクト・シンジケート」のウェブサイトに英文で寄稿したものだ。重要な内容が語られているが一部新聞が触れたことをのぞけば、日本国内ではさほど注目されなかった。
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2012年12月7日、「プロジェクトシンジケート」のウェブサイトに、安倍晋三首相の英語論文『アジアの民主主義 安全保障ダイヤモンド』が掲載された。 |
この論考で安倍首相は、南海が「北京の湖」になりつつあると警戒感をあらわにする。さらに「東海で中国に屈服してはならない」と強い決意を披歴している。そして「個人的には、最大の隣国たる中国との関係が多くの日本国民の幸福にとって必要不可欠だと認める」が、「日中関係を改善するためには、日本はまず太平洋の反対側に錨をおろさなければならない」と主張する。なぜかといえば「民主主義」「法の支配」「人権尊重」といった「普遍的価値」が戦後の日本外交を導いてきたからだと。ゆえに「アジア太平洋地域における将来の繁栄もまた、それらの価値の上にあるべきだ」と結んでいる。こうした戦略観に立って「インド洋から西太平洋にかけて共有する海を守るため豪州、インド、日本、米国・ハワイを結ぶダイヤモンドを形成する」安全保障戦略を提唱した。
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出典=日本産経ニュースサイト |
ここでも「法の支配」と「普遍的価値」である。かつての「冷戦思考」、なによりも「中国敵視政策」時代の発想から1ミリたりとも踏み出せない世界認識、対中国認識である。
しかし、と思う。牽制はできる。が、牽制しかできないのを外交というのか。そもそも価値観外交による「中国包囲網」などという時代錯誤の発想を、戦略と言えるのか。
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出典=日本サイト |
「記憶」をどう超えるか
では、そこに台頭してきた中国とは、どのような存在なのか。
過去、世界は覇権の交代を重ねながら歴史を紡いできた。近くは、大英帝国の形づくる世界秩序、パクス・ブリタニカから、帝国アメリカによるパクス・アメリカーナへの覇権の交代を目の当たりにし、世界の構造変化を経験した。その過程でわれわれは「戦争と革命の20世紀」を生きた。そして冷戦の「終焉」。
いま直面する「中国の台頭」を見据えるには、単に経済的に存在が巨大になりつつある中国にとどまらず、帝国アメリカがすべてを差配していた世界に別れを告げて、次の新たな世界秩序の形成に向けて歩み始めていることを知らなければならない。それゆえ、生みの苦しみともいうべき時代の「呻吟」、すなわち既成の秩序との摩擦や軋轢、葛藤を必然とするのだ。
では、これまでの「覇権の交代」とは何が異なっているのか。
忘れてならないのは、新たに台頭してきた大国中国には、列強による侵略と半植民地状態の下でほしいままに奪われ、傷ついた「歴史の記憶」が深く刻まれていることである。帝国と帝国が争った時代の覇権の交錯、軋轢とは明らかに異なる「摩擦」を覚悟しなければならない。身体は大きく成長した、しかし心の奥深くに刻まれたこの「記憶」をどう癒し、乗りこえるのか、まさぐるような営み、格闘が重ねられる。そのことへの認識の共有がなければ、いま直面している問題の本質を見据えることはできない。したがって、解を見出すことができない。そこへの誤りない眼差しを欠くと、時代と世界を見誤る。国の行く手を誤らせる。
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日本の書店には「中国脅威論」に関連する書籍が平積みされている(写真=呉亦為) |
近代以降の日本の歴史で、われわれは中国を正しく認識できていた時がはたしてあったのであろうか。そうした根源的な問いに、いま、直面していることを知らなければならない。なぜわれわれの中国認識はこれほどまでに「見損ないの歴史」を重ねてきたのか。
「世界史的大転換の時代」「世界は変わる」。いたるところで目にし、耳にすることばだ。では、問う。私たちは「世界が変わる」ということをいかほどの深さで認識できているのかと。いうまでもなく、これは私自身への問いかけでもある。さらに、問う。世界が変わるということは、既成の世界秩序や価値観が根底から変わることだと認めることができるか、と。
問われているのは、日本でありわれわれ日本人の世界観と中国認識である。
原文は『週刊金曜日』(2016年7月29日)に掲載。
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作者プロフィール
木村 知義(きむら ともよし)
1948年生。21世紀社会動態研究所(個人研究所)主宰。多摩大学経営情報学部客員教授。
元NHKアナウンサー。1970年NHK入社。
報道、情報番組を担当。アジアをテーマにした番組の企画・制作にも取り組む。
1990年中国放送大学「日本語講座」制作協力で訪中。 |
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