12月13日は南京大虐殺犠牲者国家追悼日だった。この追悼式は中華民族の近代史における痛ましい過去への銘記、民族の苦しい奮闘の歩みへの尊重を示している。しかしこれは隣国の疑念を引き起こしている。一部の人は、中国の追悼式は歴史の悲しみを払拭できず、隣国に対する敵意の現れだと考えている。中国は強くなり、歴史問題を他国を脅かす理由にするだろうというのだ。この説は日本のみに存在するわけではなく、日本から侵略された一部の国にも存在する。
これは当然ながら中国の追悼式への認識のズレと曲解であり、中国の歴史と現実をないがしろにしている現れでもあるが、重視するべきだ。
近現代史において、中国人は重い苦難を迎え、深い民族の悲しみを経験していた。現代中国の奮闘の歴史は、中華民族がこの歴史の難局を乗り越えた記録である。発展と総合的な国力の向上に伴い、中国はすでに自らの奮闘により苦境と失敗を乗り越え、新たな歴史の舞台に立っている。国家追悼式は当然ながら恨みのためではなく、民族の歴史を後世の人々と世界に知らせ、中国人がかつて痛ましい犠牲を強いられたことを理解させるためだ。これは罪なき命の犠牲を祈念・追悼し、中国現代史の正義に関する中国人と世界の理解を深めるためでもある。
中華民族の100年以上に渡る奮闘は、国内の産業化、他国への植民地支配や略奪により台頭した西側とは異なっている。また植民地支配され、歴史の連続性を完全に失い、完全な植民地化後に再び独立した多くの国とも異なっている。中国は痛ましい犠牲を強いられたが、その歴史は続いており、現代化の国家モデルチェンジも続いている。中国は歴史の悲しみを抱えながら、圧迫された民族との共感も持っている。そのため中国はその他の社会を見下したり、見上げたりするという考えを超えることができる。中国は衰弱の時代に終始、尊厳と世界平等の願いを持ち続けた。台頭中もその正反対の方向に走ることはない。
現代中国は奮闘のなか、3つの願いを持っている。まずは和して同ぜずで、他国を尊重する。我々は侵略と拡張に取り組まず、平和的に共存し、他者に押し付けようとしない。次に徳をもって恨みに代えるだ。抗日戦争は中国のこの品格を浮き彫りにした。日本の侵略者は中国人に対して残虐であったが、日本の残留孤児は中国で一般人と社会から広く配慮された。彼らは今日も感激している。これは人道的な配慮だ。それから圧迫されている人、弱者の側につくのだ。世界の弱者と共に奮闘することが、現代中国の関心事だ。20世紀中頃から、第三世界の人々との間に築いている友好が、これをよく説明している。
中国人がかつて経験した苦難は、人類の境遇の一部だ。我々も自身の苦難から、侵略・圧迫された人々がどのような苦難を経験するかを感じることができる。
今日の中国の台頭は、現代を迎えた中国人の勤勉・努力・奮闘によって実現された。過去に経験した苦難と苦しい奮闘を覚えるのは、恨みを誇張するためでは絶対にない。より良く歴史を理解し、悲しみに別れを告げ、世界とともに平和と発展を共有するためだ。
追悼式は、中国人がかつてどのような苦難を経験したかを、未来に知らせる。我々はより自覚的に、人類の共同発展のために多大な貢献を成し遂げることができる。これは世界各国に共通する理念の一つであるはずだ。(筆者:張頤武 北京大学教授)
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2016年12月14日
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