夢は道を明るく照らす
2年前の夏、中国北京で1年の長い留学生活が始まった。知り合いは一人もおらず、中国語もまだ全く自信がない状態での留学は本当に不安なものだった。そんな私は日本からトランペットと小さな夢を抱きながら北京へ来た。
まだ着いて間もないごろ、友人もいない学内で毎日散歩をしていた。いつものように学内をぶらぶらしていると、クラリネットを練習している女の子を見つけた。「同じ音楽をやっている子なら友達になれそう!」と思いながらも、なんと話しかければよいのかわからなかった私は無言でその子の前を通り過ぎた。その道を三往復し、ついにその子に「近くに図書館はありますか?」そう話しかけた。最初はびっくりしていた様子だったが、道を教えてくれた。私は何とか相手に自分の事を伝えようと、辞書で「トランペット」という単語を調べ相手に見せた。困った表情を見せた彼女は、楽器を片付けながら私をどこかに連れて行こうとした。連れてこられたのはとても大きな音楽室で、たくさんの学生が私を興味深そうに見ていた。彼らはちょうど練習行っている最中でその日から私はその吹奏楽団に参加することになった。後から知ることになるのだが、この団体は吹奏楽団ではなく軍楽隊であった。
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渡辺彩乃さん |
トランペットを吹いている渡辺彩乃さん |
日中戦争記念日の日、ある学生がウェイシンのグループチャットの中で私にこう聞いた。「日本人はどういう気持ちなの?」その言葉で彼らに対して恐怖心を抱いた。それを見た何人かの軍楽隊の友達から連絡が来た。彼らの話す内容は全て「僕たちは日本人に対して悪い印象など持っていない。誤解しないでくれ、君は仲間なのだから」というものだった。涙が止まらなかった。それは私にとって初めての日本人としての差別であり、また中国人のイメージが変わった瞬間だった。
今まで、日本の報道に影響されていた私は心のどこかで、「日本人である自分は彼らと永遠に分かり合えることはないんだろうな」という諦めがあった。しかし、彼らは笑顔で、私の手をとってくれた。そして、段々と「日本と中国は分かり合える、それは夢なんかではなく、現実になるんだ」と気づいた。
年末には100周年軍楽隊記念演奏会にも一緒にたたせてもらえた。ステージに立つ前、軍楽隊の指揮の先生がこういった。「今までの100年の歴史の中で日本人が僕たちと一緒に舞台に立ったのは君が初めてだ。100年という記念すべき年に君がここにいるのは必ず意味があるはず。」
1年後、私が一人で歩いていた道には、ともに歩んでくれる友人がいた。私の日中友好という夢は、言葉を超え、私たちの道を明るく照らしている。
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