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盧溝橋事件80周年にあたって

朝倉次郎

    (2017年6月21日記)

今年の7月7日には近代史に残る盧溝橋事件80周年を迎える。盧溝橋事件と言ってもいまや自身のナマ体験としては知らない人のほうが圧倒的多数だと思う。現在90歳の人であっても、自身が10歳の時の出来事である。したがって現在90歳以下の人の殆どは、学校で近代史として学んだか、読書等によって主体的に学ばなければ知らないことになる。

 

先日、現在の小・中学生、高校生が学んでいる社会・歴史の教科書を通覧してみたところ、どの教科書も「現地の日中両国軍の衝突が拡大した」程度の記述で、盧溝橋事件が歴史的転換点となったこと等うかがい知ることはできない。また、事件が発生した日を7月7日と明記した教科書は少なかった。これでは7月7日は七夕としか知らない人が大勢いても不思議ではない。

近代から現代に移行する重要な歴史に蓋をすれば現在が見えなくなり、未来を考える力も失うことになる。

フランスの歴史家、マルク・ブロックは言う。「現在から出発して過去を理解しなければならず、過去の光に照らして現在を理解しなければならない」

 一発の銃声 日本軍部が拡大

盧溝橋事件とは1937年(昭和12年)7月7日夜に、北京郊外の宛平県盧溝橋付近に駐留していた日本軍と中国軍が一発の銃声をきっかけに軍事衝突し、1945年まで続く全面的な日中戦争の起点となった近代史上重要な事件である。この盧溝橋での軍事衝突は、当初、現地で停戦協定が成立したものの近衛内閣は日本軍部の圧力に屈して、侵略を拡大した。日本軍は盧溝橋事件を契機に対中国全面侵略戦争へと乗り出したのである。

 マルコ・ポーロも讃えた橋

ここで盧溝橋について触れると、1192年に完成した永定河に架かる石造りのアーチ橋である。かのマルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で「滅多に見られぬ美しさである」と讃えている。

 

盧溝橋は北京市の中心・天安門から南西へ20キロにあり、タクシーで高速道路を利用すると30分位で着く。盧溝橋の東約500メートルには1987年に竣工した中国人民抗日戦争紀念館(以下日本風に記念館と記す)がある。この記念館の目的は「歴史を戒めの鑑として、未来を切り開く主旨にのっとって、抗日戦争史の研究、展示、交流の活動を深く突っ込んでくり広げて」(記念館ホームページ館長挨拶から)いくことにあると説明されている。

近代史の事実を展示

記念館内部は、当然、侵略者である日本軍に対する中国人民の頑強な抵抗史が時系列で展示されている。1931年9月18日に日本の関東軍が中国・東北の奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で線路を爆破して、これを中国軍の仕業とした満州事変(中国では「九一八事変」)から1937年7月7日の盧溝橋事件(中国では「七七事変」「盧溝橋事変」)、南京大虐殺へと続き、一方では、中国全土で繰り広げられた頑強な抗日の戦い、抗日民族統一戦線の結成などが分かり易く展示されている。

 
 

終わりの方で、1945年9月2日、東京湾内ミズーリ号上の日本降伏調印式の場面もあった。いよいよ最後には、1972年9月29日の日中共同声明調印式における田中角栄首相と周恩来首相の署名文書交換の場面があり、日中友好を訴える呼びかけで終わっていた。付言すれば、安倍晋三首相と習近平主席が握手する場面もあった。

 日本人として受け止める

記念館の展示内容について、日本のマスコミや歴史を直視しようとしない人々の感想には日本を故意におとしめるもので、「反日」を感じる等と反発するものが多くみられる。しかし、侵略された中国側としては実際に起きた歴史の事実を展示しているに過ぎないのであり、事実は事実として受け止めることが大切ではないかと筆者は考える。

さらにいえば、なぜ日本は中国へ侵略の矛を進めたのか、なぜ親兄弟を「皇国の戦士」として日の丸の小旗を打ち振り、歓呼の声を上げて見送ったのか等について振り返ってみることこそが大切なのではないかと思う。

記念館の展示は、中国人にとって侵略された歴史を忘れず銘記し、かつ、平和と友好を希求する意味があるのだ。それを私たちは、侵略した側としてどう受け止めたらいいのだろうか。

 在日福建華僑寄贈の東屋

記念館について記した機会に、是非、紹介しておきたいことがある。それは記念館の敷地内に、在日福建華僑の皆様が寄贈した立派な東屋(あずまや)が建てられていることである。この東屋は1995年11月に北京・人民大会堂において「第35回旅日福建同郷懇親会」が開催された際に大会記念事業として寄付されたものである。福建省の青石を用いて建造され、正面銘文には「民族正氣 浩然長存」と書かれている。碑文には、異国で艱難辛苦をなめながらも皆兄弟姉妹、親戚のように団結し、愛国心を抱き続けて今日を迎えた喜びと、日中友好を念願し、不戦の誓いを立て、手を携えてアジア人民の幸せ、ひいては世界平和を願う、との心情が綴られている。

 

もし、記念館を参観された折には、在日福建華僑の皆様が寄贈されたこの東屋も参観していただきたいと思う。東屋の位置は、以前は記念館正面に向かって右側に建てられていたが、その後、正面に向かって左側後方に鄭重に移築されている。

 「夢」を引き寄せたい

筆者は、こうあってほしいと、ふと思い描くことがある。

7月7日の盧溝橋事件の記念日や、9月18日の満州事変の記念日には、日本のマスコミは揃って事実を事実として伝え、事件を回顧した紙面や画面をつくり、再び同じ過ちを繰り返さないように報道する。そして普段から日中両国ともに社会の進歩と平和・友好・協力に役立つプラス面のニュースを流す。マイナス面のニュースを扱う場合は、あくまで反面教師として扱うようには出来ないものか、と。

アジアの大国である日中両国が友好関係を築けば、平和と安定、相互信頼を基礎にしたアジアの発展に寄与できるし、さらには世界平和に貢献できると考えるのはオーバーだろうか。

かつて中国の日本通の先生は「日中両国は諍(そう)友(ゆう)になろう」と言われた。これは腹を割った話をしながらも友情を保ち続ける友人になろう(河合隼雄著『平成おとぎ話』潮出版社)という呼びかけである。この呼びかけに応え、共に手を携え、かつ主体性をもって21世紀の日中友好・平和の道を切り拓いていくことが、今を生きる私たちに求められていると思う。   

                  

追記 本文は朝倉次郎が起草し、年来の知友に添削してもらいました。

併せて倅、兄弟、甥の意見も取り入れました。

 

人民中国インターネット版 2017年7 月11 日

 

 

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