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長沙と鹿児島の友好都市提携35周年、友好の「アップグレード」目指す

 

鹿児島市の森博幸市長一行が25日、長沙市を訪れ、両市の友好都市提携35周年記念イベントに出席、「長沙の日進月歩の進歩に、驚きと敬服を感じている。我々の交流が今後もさらに深まり、友好関係が経済・貿易協力のさらなる発展の一助となることを願っている」と挨拶した。中国新聞網が伝えた。

 

〇35年間の歴史を誇る強い絆がさらに新しいものに

1982年10月30日、長沙市と鹿児島市は友好都市を締結した。湖南省の省政府所在地である長沙は、「山水洲都(自然の秀麗な風景を擁する都)」、「東アジア文化の都」、「一帯一路(the Belt and Road)の重要な節目となる都市」などと称され、国内外にその名を馳せている。鹿児島市は、鹿児島県の県庁所在地で、同県の政治・経済・文化の中心であり、九州の最南端に位置する。約100年前、辛亥革命の先駆者である長沙出身の黄興が鹿児島に足を踏み入れ、両地の友好関係の序幕を開けた。

これまでに、長沙の暁園公園に鹿児島から贈呈された「友好平和」の青銅群像が建立された。鹿児島市の天保山公園には、長沙の愛晩亭を彷彿とさせるような「共月亭」が寄付によって建設された。毎年春になると、湖南省植物園では、鹿児島から運ばれてきた約3千本の桜が咲き誇り、市民の間で非常に人気が高いレジャースポットとなっている。このように、両都市の友好関係の雰囲気は、一般市民の生活の隅々にまで行きわたっている。

森市長は、「今年は中日国交正常化45周年であると同時に、両市の友好都市締結35周年にあたる節目の年だ。我々は、この記念すべき年に、両都市の友好関係がさらに深まったことを目の当たりにすることができ、非常に喜ばしく思っている。鹿児島市は今年2月以降、書道交流イベントの開催、サッカー大会や卓球大会の共同開催を前向きに推し進めてきた。10月には、鹿児島市民の大型グループが観光旅行で長沙を訪れる予定があり、彼らは非常に楽しみにしている」と紹介した。

長沙市委員会常務委員を務める張迎春・常務副市長にとって、これまでの友好の歴史で最も印象的だったのは、2005年だったという。同年、鹿児島市の前向きな努力のおかげで、長沙は、引水・水質環境プロジェクトに運用される200億円の融資獲得に成功した。この融資は、同年の中国に対する日本からの最大規模の融資プロジェクトとなった。

 

〇未来への活路にスポットを当てる「新5年計画」

8月の長沙は、灼熱の太陽が照り付ける酷暑となったが、日本からの客人一行は、それに負けないほどの活気でみなぎっていた。彼らと長沙市政府代表は、長沙松雅湖国際友誼林で、両地の友情の証として、1株のモクセイを植えた。鹿児島市議会の上門秀彦議長は、友誼林のメッセージボードに、「大切な友人である長沙とずっと手を繋いで進んでいきたい」という願いを込めて、「未来志向」という4文字を書いた。

森市長は、「経済・貿易関係を基盤として、今後は、両地の人文方面での交流にも力を入れていきたい。両地の高等教育機関の協力強化に努め、より多くの優秀な人材を共同で育成できるよう望んでいる」と述べた。

同日、双方は「長沙市・鹿児島市交流合意(2018-2022年)」を締結した。これは、両都市間で取り交わされる8期目の「五ヵ年交流計画」だ。双方は、継続して友好相互訪問を展開することや、経済・文化・教育・観光・青少年交流など各分野における協力を全面的に強化することで約定を交わした。

張迎春・常務副市長は、次の通り述べた。

「国同士の付き合いとは、人同士の付き合いであり、人同士が付き合えば、心も通じ合う。長沙と鹿児島の友好関係は、交流によって継承され、継承される中で発展していく。我々は、過去の深い友情関係を大事にして、中日の世代間友好と相互利益協力に新たなエネルギーを注ぎこまなければならない。さらには、『一帯一路』戦略が推し進められる時代背景のもと、双方が協力交流体制とプラットフォームを完備し、相互補完・互恵ウィンウィンを実現し、よりレベルの高い、より広範囲での交流協力を共同で展開していくことを心から期待している」。(編集KM)

 

 

 

「人民網日本語版」2017年8月29日

 

 

 

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