2003年春、中国に来てから今日まで、「在北京日本人」として常に考え続けてきたことが三つある。一つは「中国認識へのアプローチ」、次に「日中関係」、最後が「自分にできること」である。
人々はしばしば指摘する。「日中間の相互理解はまだまだだ」「相互理解を促進するために」。こういう言葉を耳にするたびに考えた。「相互理解という言葉を安易に用いるが、それが達成された状態とはどういうものなのか」「そもそも相互理解とは、追求し続ける対象ではないのか」
まずは「中国認識」にしっかり取り組もう、そして自分が中国にいて感じたり、考えたりしたことを、より多くの人に伝えていこう、と考えた。
単純な国ではない
「中国って大きくて、神秘的だよな」。掘っても掘っても、何かが出てくる。少し感情的で、抽象的な表現だが、これが私の対中認識への出発点である。
中国認識という「領域」では、「以面覆点」あるいは「以点覆面」というアプローチは厳禁だと思っている。つまり、「中国」という「面」で各処に存在する「点」を覆わないこと、その逆も同様だ。
四川と広東、山東と重慶、北京と天津……。人々の生活習慣、好き嫌い、性格、価値観、現状認識など、あらゆる要素を含めて、とにかく違う。自分の郷土が大好きで、批判を耳にすると怒り出す人もいれば、現状に不満を持ち、とにかく出国を渇望するエリートもいる。地方の農村に行った際には、自分が中国人であることすら意識していない人に出会ったこともある。
そして、そういったギャップは「地方と地方」だけではない。北京の繁華街、王府井にある「東方新天地」は各種のブランド店が並び、「白領」が高級品を買いあさっている。その一方で、一歩外に出ると、月給600元(約1万円)ほどで家族を養う生活を強いられている人もたくさんいる。
中国における「多様性」と「複雑さ」を、私は中国に来て初めて体感した。中国に来る以前、私は、中国は単一的で単純な国だと思っていた。恥ずかしいことに、柔軟性に欠け、ただ単純に「中国」を認識していた。
これだけ大きくて、神秘的で、多様性に富み、しかも複雑な国、中国を認識し、理解するためにはどうすればいいのか。本質はまさにここであろう。現段階で私なりに結論を出せば、「地道に取り組む」以外に答えはないような気がする。
確かに、「中国とは○○の国だ!」「この一点さえおさえればあなたも中国通になれる!」というようなアプローチがあれば、それは楽だし、爽快だ。ただ、そんなアプローチは、第一に存在しないし、第二に面白くない。
うまく付き合うには
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中国の学校の教壇に立つ筆者 |
「日中関係は重要だ」。この言葉を何度耳にしたか分からない。人々の日中関係への現状認識はさまざまだが、「日中が付き合う必要なんてない」という言葉を直接耳にしたことはない。「日中関係の重要性」は人々の認識の前提になっているのだ。
しかし両国関係は複雑で、構造的問題を抱えている。「日中はいかに付き合うべきか」。それを考える5つの視点を記してみたい。
まず一つ目が、「政治の役割」である。昨年と一昨年、両国関係が敏感で、国民感情が相当悪化していたころ、ビジネスマンは口をそろえて言った。「政治は何もしないでくれ」。それは本心だったと思う。
政治は、ビジネスマンやマスコミ、学者、若者などの両国の民間人が円滑に交流を進め、互いの国民感情が相対的に安定するよう、良好なフレームを創る責務がある。国内政治的な理由から外交関係が緊迫することもあるが、そこは互いの政治力でコントロールされるべきだ。
二つ目が、「多様化」である。日中関係は日増しに多様化している。政治、経済、貿易、文化、若者、マスコミ、芸術など多角的なコミュニケーションが展開される時代に突入している。「政治の役割」が発揮されれば、単なる「多様化」が「ダイナミズム」にシフトしていくだろう。
三つ目に、「国際社会の中の日中関係」という視点を挙げたい。グローバリゼーションが浸透し、いい意味でも悪い意味でも各国の「相互依存」が深化する今日、日本と中国は国際社会とどう付き合っていくべきなのだろうか。東アジアは注目され、世界におけるポジションも上昇中だ。この現状下で、日中両国が責任ある行動を取るというのは大前提になる。二カ国関係をうまくマネージして、東アジア協力を促進していく十分なモチベーションはすでに存在する。あとはアプローチの問題だ。両国で智恵を出し合いたい。
四つ目が、「忍耐」である。私は昨今の日中関係を、安易に「好転」「悪化」「雪解け」といった言葉で表現することに反対だ。感情的になってはいけない。本質的に両国間に横たわる問題を克服するには、まだまだ長い時間が必要であり、我々には「忍耐」を持って、地道に取り組んでいく以外に道はない。
大切な「学ぶ心」
最後が、「学ぶ心」である。私はいつも思う。なぜ両国はもっと「相手国のここが優れている、我々は学ばなければならない」という言論が巻き起こらないのだろうか。両国にはお互いに学べる分野がたくさんある。日本人の勤勉、道徳心、中国人の向上心、包容力。学ぶ心が育たないと、ヒトは驕る。そこに「寛容」「尊重」は存在しない。
最近、一冊の本『七日談―民間からの中日対話録』(新華出版社)を出した。中国の著名な監督、山奇氏との共著である。今年は日中国交正常化35周年、文化スポーツ交流年である。『七日談』は、より多くの人々を「日中コミュニケーションという舞台」に巻き込みたいという思いで書いた。
私は、両国民が「互いに学ぶ」というスタンスを貫き、多角的で、絶え間ない努力を続けることによって、日中間は必ず分かり合える、ともに未来を創っていけると信じている。 (北京大学国際関係学院留学生 加藤嘉一)
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