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小鴻雁少女芸術団の子どもたちを歓迎する日本の子どもたち | 夏の盛りのころ、愛媛県東温市の川上小学校は、中国の内蒙古自治区からやってきた21人の小学生を迎えた。校門に並んだ日本の小学生たちは、中国の国旗を振って歓迎した。
中国から来たのは、普通の小学生ではなかった。内蒙古自治区の「小鴻雁少女芸術団」の団員たちだった。「小鴻雁」はサカツラガンのヒヨコのことで、彼女らは、華麗な蒙古族の民族服装を身にまとい、蒙古族の歌や踊りを体育館で披露した。日本の小学生たちはその素晴らしさにびっくりした。
公演が終わると両国の小学生たちは、いっしょに折り紙を折ったり、踊ったりして交流を深めた。日本の子どもたちのほとんどは、外国の子どもに接したのは初めてだったが、言葉は通じないものの、たちまちすっかり打ち解けたのだった。
小鴻雁少女芸術団の子どもたちは、日中青少年旅行団の招待で来日した。今治市の中央住民センターでは、日中青少年旅行団財団成立20周年を記念する小鴻雁少女芸術団の特別公演が催され、定員700人の劇場は満員の盛況だった。
鄧小平氏も賛同
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日本の舞台で公演した子どもたちはみな自信に満ちていた |
中日両国の青少年の交流事業を進める日中青少年旅行団財団は、1987年に設立された。当時の財団の会長だった二階堂進・元衆院議員が北京を訪問、鄧小平氏ら中国指導者たちと会談し、「両国がともに青少年の交流を促進する」ことで意見の一致を見たところから、この事業は本格的にスタートした。
これを受けて中国政府も「日本の青少年の修学旅行受け入れ委員会」を設立し、北京市、江蘇省、広西チワン族自治区など多くの省・直轄市・自治区も次々に協力機構を設立した。
財団は、日本国内でも、関係団体や企業から、航空券の割引きや学生ビザの申請の優遇などの経済的な支援を得た。双方の共同の努力で、日本の青少年が中国へ修学旅行に行くための長期的で安全・便利なメカニズムがつくられたのである。
さらに、1997年の財団成立10周年の際、中国の学生や生徒、児童を無料で日本に招く方針が打ち出された。1998年、財団は初めて、大型の中国学生旅行団の訪日を招請した。これを契機に、中日青少年の相互訪問が始まった。
財団は、北京、上海などの大都市からの子どもばかりではなく、経済的に遅れている地域の子どもたちを特に招いて、彼らも日本に来て勉強し、視野を広げることができるようにした。
財団の手配で日本から中国を訪問した修学旅行の生徒は、1995年から2007年の間に約33万人。中国から日本に来た中国の学生たちは1998年から2006年までで約4000人。その中には、経済が発達していない地域からの14の団体、計216人も含まれている。
自立の精神を養う
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よく知っているアニメのキャラクターの玩具に興奮する子どもたち | 財団の村上司郎理事長はこう言う。「交流活動は20年ほど続けてきたが、すこし改善すべきところもある。私たちの財団が組織した旅行は、ただ景色を見るだけでなく、より大切なのは、学校教育の一部として、子どもたちに何か得るところがあるものにしなければならない」
こうした考えは、今回の小鴻雁少女芸術団の訪問にも貫かれていた。子どもたちが生まれ育った内蒙古自治区は内陸部にあり、ほとんどの子は海を見たことがない。だから今治市と大島を結ぶ来島海峡大橋に行き、瀬戸内海を眺めたのは、子どもたちにとって得がたい経験だった。
一行の旅を世話した今治地方観光協会の宮田晃二事務局長は「近年、多くの中国の子どもたちと接したが、彼らはよく勉強し、旅行中もよく質問をし、メモを取る。しかし、学校での競争が激しすぎるのか、いつも気を張っているのに気がついた。だから私たちはまず、子どもたちを大自然の中でリラックスさせたかったのです」と言う。
また、これまで旅行に来た子どもたちはほとんど、みないっしょの宿舎で夜を過ごす。小鴻雁少女芸術団の小学生も例外ではない。自分でご飯をよそい、布団を敷く。出発前には、部屋をもとのように戻さなければならない。これも、自立能力を鍛えるために特別に設けられた「授業」なのだそうだ。 (于文=文・写真)
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