大江作品の持つ独特の世界性と複雑性は、作品をより難解なものとしている。日本での大江作品の読者人口は決して多いとは言えないが、中国での現象はまったく異なり、大陸や台湾でも大江作品の読者は年々増加しているという。中国語翻訳本の出版事情を見ると、大陸だけで2008年には9作品がすでに出版されており、2009年には現段階(5月時点)で6作品がさらに翻訳出版されることが決定している。
2008年度、大陸地区で『おかしな二人組(三部作)』(『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなら、私の本よ!』)『「自分の木」の下で』『緩やかな絆』『恢復する家族』『大江健三郎 作家自身を語る』『ヒロシマ・ノート』『個人的な体験•万延元年のフットボール』の九作品が簡体字で翻訳出版されています。台湾地区では、繁体字による『さようなら、私の本よ』と『大江健三郎 作家自身を語る』が出版されています。2009年度は私が把握しているだけで、大陸地区ですでに簡体字版で出版済のもの、今後予定している作品は、『﨟たしアナベル・リイ』『沖縄ノート』『「新しい人」の方へ』『読む人間 読書講座』『政治少年死す』『同時代ゲーム』があります。また台湾地区繁体字版では『﨟たしアナベル・リイ』『沖縄ノート』『読む人間 読書講座』があります。このように、出版事情から見ても、大江文学が中国で広く注目されているのは事実と言えるでしょう。
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すでに出版された大江作品の中国語訳の一部 |
実は、1995年から数年間、大陸地区で大江作品は翻訳出版ブームでした。これは大江氏が1994年にノーベル文学賞を受賞されたことと関係があります。読者は、過去にほとんど翻訳出版されていなかった大江作品を急いで読みたいと思いましたが、このブームはすぐに収束してしまいます。主な原因として、多くの読者が大江作品は読むのが難しいと考えたこと、そして当時の翻訳本の質と大きな関係があります。
翻訳者の大部分は、大江氏自身とその作品についての知識を持ち合わせておらず、大江作品の基礎研究ならび複雑で難解な大江文学の翻訳は話になりませんでした。この翻訳の質の問題以外に、当時は中国における大江文学研究もまた、少ないものでした。中国の日本文学研究の権威、葉渭渠教授は、その現状を「わが国の大江文学に対する研究はほとんど空白の状態だ」と指摘しています。
以上、二つの原因により、大江文学は中国大陸地区でのブームは数年間で収束してしまいます。
しかし近年来、この現象は大きな変化を遂げます。外国文学研究所は、世界文学の至宝ともいえる大江文学を中国へ紹介するために、中国の文芸界へは信頼できる参考資料を提供し、中国の読者へは信頼できる翻訳本を提供する計画を立てました。そしてすぐに責任者を決めて、大江文学を重点的に研究し、翻訳し、研究所内の日本文学、フランス文学、イギリス文学、ドイツ文学、ロシア文学、スペイン文学、イタリア文学の学者に、それぞれの専門から大江作品中の関連する内容を解読することを試みました。
その一つめの成果として、『大江健三郎研究』論文集が出版されました。またそれと同時に、大江氏の近年の作品も翻訳出版されていきました。このようにして、読者が大江作品を読み解くための土台は作り上げられていき、非常に複雑で難解である大江作品を読み応えのあるものへと引き上げました。このことが大江作品が近年、中国で読者に広く読まれるようになった主要な原因と言えるでしょう。
またその一方で、大江作品の中に、しだいに中国的な要素が現れてきたことも特筆すべきことです。
とくに大江氏本人およびその作品中に流れる魯迅の「横眉冷対千夫指、俯首甘為孺子牛」(「眉を横たえて冷ややかに対す千夫の指、首を俯して甘んじて為る孺子の牛」)の精神は、おそらく中国の読者が大江作品を好む重要な原因の一つに数えられます。大江氏は日本の魯迅、現代の魯迅と言えるのではないでしょうか。
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