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戯曲『駱駝祥子』と私の故郷

東京大学文学博士 大山 潔 (写真は筆者提供)

大山 潔

(オオヤマ キヨ、中国名:陸潔)

1959年北京生まれ。1982年北京科技大学卒業、同校の専任講師。1987年来日。東京大学文学博士。現在、明治大学、東京理科大学等の非常勤講師。

日本初の翻訳出版

2007年は中国話劇百周年、『駱駝祥子』脚本化50周年だった。この節目の年に私は、私の家に中国語を習いに来ている三人の生徒と、中日対訳本『戯曲 駱駝祥子 第一幕』(樹花舎)と朗読CDを自費出版した。

戯曲『駱駝祥子』は、老舎の小説を梅阡が脚色したものである。日本では、老舎の小説『駱駝祥子』は日中戦争のさなか1943年3月に初めて翻訳出版され、以来十何種類もの訳本があるが、戯曲の方はこれまで正式な日本語訳がなかった。中国では『駱駝祥子』は老舎の小説としてよりも、むしろ舞台劇や映画として親しまれており、日本では戯曲版があまり知られておらず、翻訳もないことを知って私は驚いた。

北京の庶民に愛される

梅阡の戯曲は原作を劇に移しかえただけのものではない。とくにラストの部分に梅阡は大きく手を加えている。原作では、主人公の祥子は希望を失い堕落して、物語は悲惨な結末で終わるが、梅阡はそれを未来への希望が感じられるように書き換えている。梅阡の書き換えについてはいろいろな意見や評価があるが、一つ確かなことは、梅阡の話劇『駱駝祥子』が中国の人々、とくに北京の庶民の圧倒的な支持を受け、心から愛されてきたということである。

老舍夫人の胡絜青女史は「話劇『駱駝祥子』は北京人民芸術劇院(人芸)の得意の演目である。主人公の祥子と虎妞は、舞台芸術家によって生き生きとした人物になり、北京人で知らないものがいない人気者になった。とくに舒繍文が演じた虎妞が話題になると、北京人は喜色満面、まるで親しい友人のことのように話が盛り上がる」と書いている。

夫人によれば、老舎自身も話劇『駱駝祥子』を観て心を奪われ、大きな刺激を受けてその続編を書こうとさえしたという。梅阡の書き換えは、決して改悪ではなく、意味のあるものだったのである。

私が初めて話劇『駱駝祥子』を観たのは、「文化大革命」が終わり、18年の空白期を経て再び上演されるようになった1980年のことである。当時大学二年生の私は、自転車で往復2時間かけて首都劇場に『駱駝祥子』を観に行った。その帰り、興奮と感動が冷めぬまま、虎妞になったつもりで台詞を真似しながら、人影の絶えた通りを自転車を走らせた。それを今でも鮮明に覚えている。

その十数年後、私は日本で中国語教材として『駱駝祥子』の脚本を選んでいた。数ある現代中国文学の作品の中から『駱駝祥子』を選んだのはなぜだったのだろうか。昔の北京を知り、生きた北京語の会話を学ぶのに適しているという理由もある。でもそれだけではないような気がする。

老舎の子息、舒乙先生(左)から書を頂いた筆者

ある日、新華社の文章に「時代の記憶の一つとして、40歳以上の北京っ子はほとんど誰もが梅阡先生を知っている。人々は彼の話劇とともにあの話劇の黄金時代を生きたのである」とあるのを読んだとき、自分の気持ちがはっきりと分かった。私はまさにその「話劇の黄金時代」に北京で青春時代を過ごし、中でも梅阡の『駱駝祥子』がもっとも印象的な演目だったのだ。『駱駝祥子』を通じて私は中国での青春時代の輝きの一つを日本の生徒たちに伝えたかったのである。

全五幕の翻訳・出版へ

『駱駝祥子』の翻訳は難航し、8年かかってようやく第一幕の出版にこぎつけた。出版後、「ぜひ完全版を」という多くの要望が寄せられたが、これまでの苦労とこれからの困難を考えると、なかなかそういう気持ちにはなれなかった。

そんなある日、お茶の水女子大学名誉教授の中山時子先生から突然お電話を頂いた。すでに85歳になられた著名な老舎研究家の先生が「CD を聴きました。体が震えるほど興奮しました。でも第一幕だけではもったいない。何とかして第五幕まで全部出すべきです」とおっしゃって下さった。この時の先生の言葉が私の心の中でいつまでも響き、とうとう完全版の翻訳を決心した。

2008年8月、オリンピックで沸き返る北京を訪れ、人芸の13名の俳優たちに参加してもらって『駱駝祥子』全五幕の朗読を録音した。完全版に向かって第一歩を踏み出したのである。

『駱駝祥子』の翻訳を進めているうちに、ふと気がつくと、私の本棚は『北京風俗図譜』『明清北京城垣和城門』『老北京360行絵本』など古い北京に関する本であふれるようになっていた。『駱駝祥子』を追っているうちに、いつの間にか私は古い北京をも追い求めるようになっていた。

北京は私が生まれ育った故郷である。しかし、『駱駝祥子』の翻訳を始めると、古い北京について何も知らないことが痛いほど分かってきた。祥子の時代の北京城を確認することすらもはや大変困難なことなのだ。

1957年、北京人民芸術劇院の上演した『駱駝祥子』。李翔の演ずる「祥子」(左)と舒繍文の「虎妞」

私は果たして古都北京の風情を日本の人たちにうまく伝えることができるだろうか。『駱駝祥子』全五幕の翻訳・出版という大任を成し遂げることができるだろうか。お世話になった梅阡夫人、舒乙先生(老舎の子息)、中山先生、人芸の俳優たちに「完成しました」と報告できるのはいつの日だろうか。私は時々、どうしようもなく不安な気持ちに陥ってしまう。

そんなとき頭に浮かんでくるのは、2007年4月、北京科技大学で「『駱駝祥子』在日本」というタイトルで講演をしたときのことである。講演後ある学生に「あなたは中国の古典文学を研究し、現代中国語を教え、さらに『駱駝祥子』の翻訳・出版までされましたが、それは何故でしょうか」と質問された。今思えば恥ずかしくなるが、私はとっさに「是為了愛(愛のため)」と答えていた。

いま私は、その時思わず口をついて出た「愛」とはいったい何かをあらためて考えている。それは青春時代に抱いた演劇の世界への憧れ、私を魅了した話劇『駱駝祥子』への愛着であろうか。遠い故郷に寄せる渇望にも似た恋慕の情であろうか。私を暖かく受け入れ、大きく育ててくれた第二のふるさとへの感謝の念であろうか。たぶんそうしたもの全てが私にとっての「愛」なのであろう。こうした「愛」があったからこそ私は今日まで歩んでこられた。そして、この「愛」がこれからもきっと私を支えてくれるに違いないと信じ、『駱駝祥子』全五幕の翻訳に取り組んでいる。

 

人民中国インターネット版 2009年11月16日

 

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