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中国の魚は馬である

 

文=薩蘇

去年、北京で数カ月過ごしたのち、日本に戻り、「何か、恋しくなったものはあった?」と妻に聞かれたことがあった。

「もちろんさ、日夜、恋焦がれたよ」と私。

「それは何?」と妻。

「日本の魚、新鮮な魚だよ!今日の昼食は家で作らず、クラ寿司に刺身を食べにいかないか・・・・・・」ここまで言いかけた時、妻の顔色が変わったのに気づいた。

彼女にしてみれば、恋しくなったのは自分に違いないと思い込んでいたのに、夫が日夜想っていたのは、日本の新鮮な魚だったのだ。私がこんなヘマをしてしまったため、食材の買出しを担当する妻は丸々一週間も、憎むべき──魚、を買おうともしなかった。

日本の新鮮な海魚は、羨望に値するものである。北京は世界的な大都会とはいえ、中国最大の漁場、浙江省の舟山漁場までの距離は、東京―大阪間をはるかに超えている。ゆえにここでも魚は買えるが、鮮度は日本のそれと、比べものにならない。総じて魚は、新鮮であるほど旨い。食を重視する中国人の一員として、日本の魚の印象は強烈である──もちろん、それを妻より先に挙げてしまったのは、間違いなのだが。

日本に到着したばかりのころ、友達が湯のみをくれたことがあった。表面には各種の魚の名前がある。例えば、鯵、鯛、鮎、鯖、鰤、鮃、鮭など、数十種類もあり、私は驚いてしまった。実際のところ、こうした漢字の大部分は『新華字典』にあるのだが、中国人である私は、その多くが読めない。

日本人は、辞書にある変わった漢字をみせ、当てさせるつもりなのだろうか?聞いてみるとそれは違い、多くの日本人はその大部分をスラスラと読みあげ、しかもこの字の魚はどんなもので、食べ方はこう、と嬉々として語る。例えば鯛は正月に食べるのだとか、鮎は串焼きにして、表面に塩をふると抜群だ、など。

最初は、こんなウンチクを語る日本の友人を学のある人だと思っていたのだが、あとから気づいたのは、彼が別の漢字については、しょっちゅう読み間違いをしていることだった。ある別の友人は「日本人は古代から魚を食べる民族で、日本料理の半分は魚と関係がある。だから当然、魚の種類には敏感になる。中国には、魚ヘンの漢字はこんなに多くないだろう?」

当時の私は、その意見にあわせたのだが、心の内では、何か、違うのではと思っていた。けれど、それがどう間違いなのかは、はっきりとは分からなかった。

北京に戻り、市場の門を通りかかり、「胖頭魚」(パン・トウ・ユィ)と中国語で呼ばれる魚を見かけたとたん、「胖頭魚」の正式な名前は「鱅」なのだと分かった。中国語の漢字のなかにも魚ヘンの文字は多いのだが、日本で使われているものと違うだけである。例えば、「鰱」、「鲫」、「鰣」、「鱅」などは、淡水魚の名前で中国ではよく見かけるものだが、日本人が見たら、読み方が分からないのではないだろうか。

日本人は魚を沢山食べるが、海の近くに暮らすので、たっぷりの海魚があり、「鯉」以外の淡水魚はほとんど食べない。対して中国人は淡水魚を良く食べるが、みなが海魚を食べられるわけではない。ゆえに双方が使う漢字のなかに、魚ヘンの文字は多いのだが、同じもの、というわけではない。これは島国と大陸の違いでもあるだろう。

ある日、北京大学の教授とお会いしたことがある。日本の魚の美味しさに話しが及ぶと、教授は笑いながら「ほんとうは、古代中国では、魚は一つの意味しかなく、それは馬の名前だったのですよ」

初耳である。私は半信半疑になった。

教授は、約2000年前、漢代に編纂された『説文解字』のあるページを私に見せてくれた。そこには、「馬一目白曰□(注1)、二目白曰魚」とある。現代中国語で解釈すると「片眼の周囲が白毛の馬は□と称され、両眼の周囲が白毛の馬は魚と称される」「それなら、もし古代の中国人が、家に魚の群れがいる、と言ったら、それは、両眼のまわりが白毛の馬の群れがいる、ということですか?」この部分を読み終えた私は、驚いて教授に尋ねた。

「そのように解釈できますね」と教授。

面白い話として友達に語ってやろう。私は思ったが、ただし、よく見ると悩ましいことに「□」の読み方が分からない。他人にこの話をする時、「□」を読み間違えたら、みっともないではないか。

すぐ教授に教えを請うと、彼は、心配は要りません、と言う。当時の人々が馬を形容する字は百近くもあり、前足が白い馬は「騱」と呼ばれ、ベージュと白が混じる馬は「駓」と呼ばれ、尾の付け根が白い馬は「騴」、尾が真っ白なものは「駺」、けれど、このような字をどう読むのか、頭をひねる必要はないですよ、いまこれらの字を使う人はいませんから、と教授。

馬に対して、古代の中国人は、どうしてまた種類をこれほど複雑にしたのだろう?

教授は、これこそ中国と日本の違いなのです、と言う。中国は大陸国家なので、魚の品種に関して、日本ほど決まりがいろいろとあるわけがない。私は若いころ市場にいって魚を買い、すべて醤油煮込みにしていましたが、その種類が何であるか、気にもしませんでした。けれど、大陸国家として、古代中国人は、出かける時には馬が頼り、戦争も馬が頼り、時には食物や飲料も馬から生み出され、当然、馬を重視した。日本人が魚に対するより、さらに重視していたのです。だから、数多くの馬の種類の違いを表す字があるのです。今日、馬は重要でなくなり、多くの字は忘れられたのです。

ならば、いつごろまで、尾の付け根が白い馬と、尾が真っ白な馬が区別されていたのでしょうか?私が聞くと、教授はレクサスをご覧なさい、という。LS600hとISはどういう違いなのでしょう?一方は日本国の首相のもの、一方は我が家のものです・・・・・・。

古代の馬は、なんと今日のクルマであったのだ。私は悟った。

 

(注1)
 

 

薩蘇

2000年より日本を拠点とし、アメリカ企業の日本分社でITプログラミングプロジェクトのマネジャーを務める。妻は日本人。2005年、新浪にブログを開設、中国人、日本人、およびその間の見過ごされがちな差異、あるいは相似、歴史的な記憶などについて語る。書籍作品は、中国国内で高い人気を誇る。文学、歴史を愛するITプログラマーからベストセラー作家という転身ぶりが話題。

 

 

人民中国インターネット版  2010年1月25日

 

 

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