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「役に立つ」言葉を目指す

 

『論語』の子路篇にこうある。

「子曰く、詩三百を誦するも、これを授くるに政を以てして達せず、四方に使いして専り対うること能わざれば、多しと雖も亦奚を以て為さん」

(詩経300篇を暗誦していても、これに政治の要務を任してもうまく果たすことができず、外国に使節として派遣されても、全権をもって談判できないというのでは、まったくしかたがないではないか)(貝塚茂樹訳)

孔子が言いたかったのは、知識を実践の中で用いてこそ学習の目的が達成されるということだろう。孔子学院で中国語を学んでいる人たちも「役に立つ」言葉の習得を目指している。

中国の人の役に立ちたい

孔子学院の授業を受けている片山ゆきさん(写真・魯忠民)
毎週金曜日、30歳代の片山ゆきさんは、普通のOLより早く起きる。朝7時半前には、新宿駅に近い工学院大学の孔子学院の早朝クラスに出る。

1時間の授業中、片山さんたちはそれぞれ近況を先生に中国語で話す。その後、みんないっしょに『三字経』をとなえる。『三字経』とは中国で、子どもに字を教えるために使われる代表的テキストで、宋の時代の王応麟が撰したと伝えられる。毎句3字で韻を踏み、人倫など常識的なことを儒教の立場で説いたものだ。

「中国の故事を学ぶことによって、言葉を学ぶだけでなく、中国の伝統文化をもっと理解することができます。それは仕事の面にも役に立ちます」と片山さんは言う。

片山さんの仕事は、中国の社会保障制度や民営保険業務を調査・研究することだ。彼女は、日本の社会保障制度の成り立ちと民営保険市場に関する経験を中国に紹介し、またそれに関する中国の現状を日本に紹介している。毎日、彼女は多くの経済・社会関係の中国語資料や情報に接していて、それは中国語の読解力には厳しい訓練となっている。しかし、一日中、文書ばかりを読んでいるので、中国語を聞いたり、話したりする環境がない。中国語でコミュニケーション能力を鍛えることができないのが彼女の悩みの種だった。

このため工学院大学が主催している「中国語サロン」に参加することにした。そこで孔子学院副学長の張海英教授と知り合いになった。そして工学院大学には孔子学院があり、毎週金曜日の早朝、サラリーマンやOLのために1時間の早朝クラスを特設していることを知った。

「毎週金曜日の朝、私は大慌てで起きて、授業に出かけます。でも、ちっとも苦になりません。さらに多くのことを学べるので、その日は大変充実していると感じ、楽しいです」と言う。

彼女が最初に中国語と接したのは、偶然に映画『芙蓉鎮』を見たときだ。「当時、私は中国のことは何も知りませんでした。でも、映画のストーリーに深く感動しました。映画の中で、逆境にいる主人公が積極的に向上しようとする姿に魅せられました。そこで大学で私は中国文学を学びました。卒業論文は『映画芙蓉鎮と原作との比較』です」と片山さんは中国語との出会いを語る。

卒業後、彼女は中国に2年間留学した。この間の中国人との交流を、忘れることができない。「中国の親友は私にこう言うんですよ。『あなたの中国語は、私と喧嘩する中で鍛え上げられた』ってね」

どのようにして人や物に対する中国人の習慣や考え方を理解し、相手の立場から物事を理解するか、それには言葉だけでなく、心と心の交流が必要なのかも知れない。片山さんは言う。「中国人の中に溶け込むには勇気が必要です。しかし、いったん溶け込んでしまえば、まるで家族のように扱ってくれます」

タクシーで家に帰れるように

春木克之さん(44歳)は、片山さんのクラスメートである。しかし、彼が中国語を学ぶ目的はもっと単純だ。それは、中国でタクシーに乗るとき、行き先をはっきり言えるようにしたいからなのだ。

春木さんは、建築材料関係の仕事をしている。中国との最初のかかわりは、上海のある大規模建築プロジェクトだった。その後、彼は会社から上海に派遣された。しかし中国語はまったくできなかったので、仕事のときには通訳を介して意思疎通した。

だが、日常生活では、自分で何でもしなければならない。簡単な日常使う言葉を少し学んだとはいえ、彼が遭遇するさまざまな面倒なことに対応するには、まったく役に立たなかった。

まず、家に帰ることである。上海は広く、交通網は縦横に、複雑に走っている。春木さんにとってもっとも便利な交通機関は、やはりタクシーである。しかし、彼の発音は悪く、タクシーの運転手に、自分の家の住所を正確に言うことができなかった。どういう道を通って家に帰ればよいかもわからなかった。だから「タクシーはいつも、私の家からずっと遠くに停まり、最後は長い距離を歩いて帰るしかなかったのです」と彼は言う。

さらに食事でも苦労した。あるとき、彼はスーパーで、水餃子のバラ売りを買ったが、数字をはっきり言えなかったため、売り子がくれた水餃子はなんと100個もあった。「それから私は1週間、毎日餃子を食べるほかはなかったのです」

こうした悩みを解決しようと春木さんは、帰国後、中国語を学ぶ決心をした。しかし、数ある中国語教育の学校の中で、彼はどうして工学院大学の孔子学院を選んだのか。

「新宿は交通が便利。それに工学院大学の孔子学院は、中国政府と日本の大学が共同で運営しているので、安心できます。しかもここでの教育は、単に言葉を教えるだけでなく、中国の伝統文化や民俗習慣を教えてくれるので、学ぶ者には興味があります。翌日朝早い授業があると思うと、その晩はあまり酒を飲まないようにしています」と春木さん。

現在、春木さんは上海に、自分の会社を立ち上げた。中国に行くたびに、彼は新しいことを体験し、それが新しい考えを促す。当然、面倒なことも少なくない。彼が話したことを、通訳が間違って訳してはいないか、チェックしなければならないし、日本の商習慣とまったく違う中国流の商習慣にも慣れていない。もっとも大きな悩みは、中国が日進月歩の速さで発展し、自分の中国語のレベルが向上するスピードが中国の変化に追いつかないことである。

しかし今は、彼はタクシーを自分の家の前にぴたりとつけさせることができるようになった。

慕われる通訳助産師さん

桜美林大学の孔子学院で勉強中の助産師小林智子さん(写真提供・小林智子)
横浜市にある産婦人科の病院に、中国語ができる30歳代の助産師さんがいる。小林智子さんである。中国人の妊婦や新生児の世話をするほかに、医師が中国人の患者を問診するとき通訳もする。この病院は横浜市内で外国人が2番目に多い地域にあり、中でも中国人がもっとも多い。この「通訳助産師さん」の名を慕って、多くの中国人の妊婦がやってきている。

小林さんは、もとは千葉県のある病院の産婦人科で働いていた。そこでも多くの中国人の妊婦に接する機会があったが、言葉が通じず、意思疎通ができなかった。面倒なことが起きることさえあった。「女性にとって、出産は、人生の大仕事です。もし知らない土地で子どもを産むとしたら、誰でも心配で、怖いと思うでしょう」。そう考えた彼女は、中国語を学びたいという思いがふくらんだ。

簡単な中国語をいくつか覚えた後で、小林さんは試しに中国人の患者さんと話してみた。言葉は片言だが、彼女の話す中国語が患者さんに通じたと感じたとき、気持ちはすっかり楽になった。

患者さんの笑顔を見て、小林さんはもっと中国語を学ぼうと決心した。そこで病院側が再三、引きとめるのを婉曲に断って、仕事をすっぱり辞め、桜美林大学の孔子学院の中国語コースに入学を申し込んだ。

基本となる拼音(中国語のローマ字表記)からヒアリングの練習まで、小林さんにとってはどれも難しかった。「孔子学院に入る前に少し独学したけれど、ヒアリングと発音はぜんぜんダメでした」と小林さんは言う。

最初のころは、書き取りの練習でいつも聞き取れなかった。とりわけ、人前で答えを間違えるのが恥ずかしかった。放課後に一生懸命復習し、繰り返し練習した。そしてだんだんと人前でも自然に中国語が話せるようになった。長いセンテンスも聞き取れるようになったし、発音も正確になった。「自分の中国語がだんだん進歩していくのを感じて、嬉しかった。基礎がとても重要だと思いました」と彼女は言う。

桜美林大学の孔子学院は、独特な教育方針をとっている。一般の中国語教育のほか、中国の切り紙、古詩の鑑賞、京劇の上演などがある。さらに、さまざまな中国人との交歓会が行われ、孔子学院の学院生の会話とヒアリングの能力が実践で試されるようにしている。こうした多種多様な教育のやり方を通じて、小林さんは授業で学んだものを実用に生かすことができるようになったばかりでなく、中国文化や中国人がもっと好きになった。

「私は中国の人たちの開けっぴろげな性格が好きです。友だちになりさえすればすぐに深い付き合いになるし、その後もずっと付き合っていける。職場でも孔子学院でも、それ以外のところでも、多くの中国の友人と知り合いになりましたが、この人たちとは一生、付き合っていけると思っています。言葉は人と人とを結ぶ一つの手段だと私は思っています。これからも中国語を勉強しつづけて、中国語を使って古くからの友人とも新しい友人とも交流を続けて行きたい」と小林さんは言っている。

 

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