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日本人の「村長」がんばる荒涼たる大地を緑に

 

于文 陳炜 李明艶=文 板垣敏秀=写真提供

中国・貴州省の小さな村で、作業服に運動靴姿の一人の日本人が、肥料のやり方を教えたりしながら現地の人々といっしょに木を植えていた。夜になると、村人のプイ(布依)族の人たちと酒を飲み、語り合い、家へ泊めることも多いという。

貴州省に「生態村」をつくった65歳の板垣敏秀さんは、現地の人々に「村長」と呼ばれている。狭い面積にサンプル的に木を5000本ほど植え、2008年に貴州省に出向き、地域の人たち及び村の政府と、互いに研究を進める目的で村をつくった。種に油分を豊富に含むバイオ燃料の原料として有用なヤトロファ(小油桐)という木を、広い範囲で栽培するための研究である。

ヤトロファに出会う

貴州省貞豊県魯容村における「国際小油桐生態村」

小油桐(ヤトロファ)の果実

ヤトロファの種

ヤトロファの種、搾りカス、精製油(左から右へ)(写真・単涛

1970年、板垣さんは板垣園芸株式会社を設立した。世界中を飛び回り、珍しい植物を探し求めた。しかし、そのころ世界のほとんどの植物が日本の市場に出尽くしていた。「人目を引く珍しい植物を求めて、中国各地に分け入りました。春節(旧正月)の時期に内蒙古自治区、山西省、河北省などを訪れると、荒涼たる大地に強風が吹き荒れ、生き物を寄せつけない厳しい大自然が広がっているのを目のあたりにしてきました。これを何とかしたいと思ったのです」と板垣さんは語る。

胡錦濤国家主席は、就任直後の2003年4月、「植樹・造林、生態環境の整備の強化は国と人民のための大事業である」と発言し、緑化活動への決意を示した。板垣さんはこの発言に啓発され、「植林100」という組織をつくった。百年かけて、黄土高原全体を緑化しようと考えたのである。しかし、黄土高原の面積は日本の5倍、6倍にも及び、緑化は容易なことではない。1年、2年で緑化を実現するのは、金銭的にも難しく、時間的にも厳しい。板垣さんは途方に暮れた。

そこからスタートし、若干考え方は変わったものの、植林という点だけは揺るがなかった。結局、「経済林」の植樹を決めたのだった。見返りのある「経済林」なら投資する人もたくさんいるだろう。これで資金を蓄えてから、あらためて黄土高原の緑化に取り組んでも遅くはない、と考えたのである。いわば、百年計画である。

とはいえ、できるだけ短期間である程度の成果を出せないものかと頭を抱えていたところ、ヤトロファという植物にめぐり合った。南米のアマゾンで原生林を伐り、世界中に輸出していた三井物産の知り合いから、板垣さんは相談を持ちかけられた。「南米にはヤトロファという旱魃に強い野生の植物があり、油が取れる木です。この木を中国や東南アジアに持っていって植林事業をやりたい。いっしょにやりませんか」2006年の春のことだった。

板垣さんは植物のプロではあるが、植林ということに対しては知識が乏しく、心もとなかった。特にこのヤトロファという植物に関しては、世界的にもデータが不足していた。そんなとき、貴州大学で研究協力をしているダイムラーベンツ社が、貴州省内で2万ムー(1ムーは6.667アール)規模のテストをするというニュースをインターネットで見つけた。中華全国青年連合会の紹介で貴州省を訪問することになった。

 

人民中国インターネット版

 

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