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日本人の「村長」がんばる荒涼たる大地を緑に

 

中国に携わって30年

2009年、板垣さんは貴州省の2カ所に生長状況の視察に行った。その結果、ひどいショックを受けた。貴州省は2008年にこの50年で最大の雪と寒波に見舞われ、深刻な被害に陥っていたのである。最初に植えた50万本の木も被害は避けられず、半分以上がダメージを受けた。この場所で再度被害を受けてはたまらないと、改めて別の場所を探し、南の方の比較的暖かいところに80万本の植林を進めた。険しい山間地に木を植えるのは、非常に厳しい作業となる。多くの人の支援のもと、80万本の植林が完成したが、そののちに水害に見舞われた。そのため道路はすべて土砂崩れで不通となり、現地に船で行くなど、大変な苦労であった。

植林の最新情況を紹介する板垣敏秀さん(写真・単涛)
しかし、板垣さんはそう簡単にはあきらめなかった。帰りの飛行機で後継者を見つけることができたのも、この視察の収穫の一つだった。視察の帰りに知り合った青年・大澤孝将さん(19歳)は板垣さんに語った。「世界一の企業家になりたくて、世界中を旅しているんです。ベトナムからの帰りで、お金がないので安い航空券を使ってやっとのことで広州までたどり着きました。これから家に帰るところです」そんな彼に、板垣さんは、「やる気があったら、私の後継者になって植林をするのはどうか」と冗談まじりに口にしたが、彼は3日後にまじめに面接を受けに来た。面接で「中国に行ったらもう帰ってきません」と語った大澤さんは、その言葉通り、行ったきり一度も日本には戻らず、現在も雲南省で働いている。総経理(社長)という立場で、一生懸命に働き、村民たちと仲良く付き合っているという。

板垣さんは30年前、中日国交回復実現に多大な貢献のあった経済人である岡崎嘉平太氏から言われたことがある。「板垣さん、これから中国と日本は仲良くしなければなりません。中国は今は貧困状態にあります。日本は中国に大変な迷惑をかけました。これからの30年間は研修生の受け入れ支援などを続け、中国を助けるよう一生懸命にがんばってください。」

「私はその通りだとその言葉を信じて30年がんばってきました。中国に携わって30年となり、何をしたら世の中に貢献できるかを考え、植物のプロとしてここに自分の仕事を見つけたのです。これは中国だけではなく、世界の貧困地域にぴったりの事業です。中国のいい場所を提供していただき三年間勉強した結果、この事業の難しさがよくわかりました。そのことは、私にとって非常に幸せなことでした」板垣さんは満足そうに語った。

 

 

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