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毛沢東主席らの元通訳が語る秘められたエピソード

単濤=文・写真

毛沢東主席や周恩来総理らの日本語通訳として、日本の友人たちとの多くの会見に同席した劉徳有・元中国文化部副部長の写真展「わが人生の中日友好交流──劉徳有所蔵アルバムより」が9月17日から東京の中国文化センターで開催された。写真展の開幕式で劉氏は「思い出の毛沢東主席と周恩来総理──通訳のエピソードを中心に」と題するスピーチを行い、これまで知られていなかった数々の興味深い逸話を語った。

 ◆エピソード1  難しかった毛主席が引用した古典

 1961年10月7日、毛主席は中南海の勤正殿で、日中友好協会代表団、民間教育代表団と会見した。その時、「友人には本物と偽物がありますが、実践を通じて誰が本当の友人か誰が偽の友人か見分けることができます」という有名な談話を述べたが、それに続けて、「物以類聚、人以群分」という『易経』の言葉を引用した。

開幕式でスピーチをする劉徳有氏

 毛主席は湖南なまりが強く、しかも古典からの引用で、劉氏は何のことかわからず立ち往生した。するとその場に居合わせた中日友好協会会長の廖承志氏が、すかさず「類は友を呼ぶ」と訳して、助けてくれた。全身、冷や汗をかいた体験だった。

◆エピソード2 周総理が差し伸べた救いの手  日本語のできる周総理の通訳も、緊張の連続だった。

 1957年3月11日、周総理が牛原虚彦団長の率いる日本映画代表団と会見した際も劉氏が通訳を担当した。周総理は話の中で「ロアン・リンユィ」という人の名前を挙げた。それは1930年代に活躍した中国の有名な映画女優「阮玲玉」のことだったが、若い劉氏には初めて耳にする名前だった。

 頭の中が真っ白になり、通訳に詰まっていると、周総理は、劉氏のメモ用のノートに素早く「阮玲玉」と走り書きした。さらに判読できないのを心配して、もう一度、丁寧に「阮玲玉」と書いてくれた。これを見て劉氏は無事に通訳すると、日本の代表団の人々はみなその名前を知っていた。

 会見が終わった後、周総理は中国側の関係者を残して、こう指摘した。「若い人にはもっと歴史を知ってもらわなくてはならない。歴史は切断するわけにはいかない。歴史を置き去りにしては何も見えてこないからね」

◆エピソード3 通訳の不手際で中国の平和外交政策を引き出した

 1959年10月25日、周総理は松村謙三氏一行と北京の郊外にある密雲ダムへ向かう特別列車の中で会談を行った。その席で松村氏は「中国がこのように発展していけば、恐ろしく大きな国になる」と言った。劉氏はこれを「中国は皆が怖がるほど大きな国になる」と訳してしまった。

 それを受けて周総理は「中国はたとえ強大になっても、決して他国を侵略するようなことはしません。中国人民は百年来、外敵の侵略を受けてきました。その苦痛を他人に押し付けるようなことはどうしてできましょうか」と中国の平和外交政策をじゅんじゅんと説いた。

 劉氏はその後、松村氏の「恐ろしく大きい」は「とても大きい」という方に重点があったのではないかと思い、責任を強く感じた。しかし「自分の不手際で、中国の平和外交政策を引き出した結果になったことは、まさに怪我の功名ではないか」と思っている。

 

人民中国インターネット版 2010年11月

 

 

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