文・写真=馬島由佳子
12月13日午前9時半、北京市内の中日友好医院で中日の外科医による共同手術が始まった。腹壁を切り開かずに、患者の近くに置かれたテレビモニターに映し出された腹腔内映像を見ながら巧みに執刀する手術は、医療現場に詳しくない人々にとっては想像もできない光景だろう。
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手術はテレビモニターで確認しながらすすめられた |
手術は午前9時半から午後3時まで5時間半に及んだ |
患者は21歳の男子大学生。健康ならば、同級生とクリスマスをどう過ごすか、冬休みはどう送るかでわくわくする毎日だっただろう。半年前に便通の異常に気付き診察を受けた。病名は「直腸がん」。一般的に若い人ほど進行が早いと言われる「がん」はすでに肛門付近にまで広がっていた。21歳の若さで極めて重い直腸がんをかかえてしまった患者には、開腹してがんを摘出するのがこれまでの手術のやり方だが、肛門も切除されてしまうため、腸管の一部を腹部側面に出し排泄口にする永久的「人工肛門」は避けられない。未来ある若い患者にはどうしても受け入れることができず、生きることに悲観的で情緒不安定な日々がつづいた。患者に対する親身な接し方で知られる担当医の姚力医師は患者の心情を察し、開腹せずに腹腔鏡を用いてガンを切除し、肛門を温存する高度な技術で手術ができる日本の国立がん研究センター東病院の外科医、伊藤雅昭医師を北京に招き手術をしてもらうことを思いついた。
実行は早かった。中日友好医院内視鏡センターで姚医師の指導を仰ぐ日本人研修医、於保伸一医師が仲立ちをし、伊藤医師も快諾、中日外科医共同の手術が決まった。この日の手術の一週間前のことだった。この話を聞いた手術器具メーカーは、器具の無償提供を伊藤医師に申し入れた。海外での手術は初めての伊藤医師はスーツケースに手術器具を入れ、手術がスムーズに運ぶよう手術器具の名称も中国語で覚えた。当日、姚医師、伊藤医師が執刀医となり、於保医師が通訳を兼ねて助手を務めた。
中日の両医師の協力のもと、手術は始まった。技術的にも注目された腹腔鏡手術の様子は、外科医局にもテレビモニターで流され、他の病院の外科医たちも集まって見守った。腹腔鏡手術とは腹部の皮膚に小さな穴を開け、そこから筒状の腹腔鏡と呼ばれる管のカメラを挿入し、その映像をテレビモニターに映し出して「がん」の場所までメスを運び悪性腫瘍を切除する。この方法ならば肛門を温存することが可能だ。9時半に始まった手術は心電図のリズムを刻む音だけが響く中、手術器具を扱う金属音に加え中国語と日本語が交互に飛び交う。緊張は午後まで続き、終了したのは午後3時。
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左から姚医師、伊藤医師、於保医師 |
伊藤医師は多くの中国人外科医に腹腔鏡手術の指導も行った |
その後、多くの外科医が会議室に集まり、伊藤医師は今回の手術手技の説明と腹腔鏡を用いた直腸がんの手術の指導を行った。すべての日程を終えた伊藤医師は、「手術を終え手術室から出てきてすぐに患者のご両親から『謝謝、謝謝(ありがとう)』と手をさしのべられた時には日中交流の手術だったんだなと感慨深いものがありました」と語ったあと、「初めて海外で行う手術で、助手を日本から同行させることができず不安な面もあったが、於保医師の助けがあってスムーズにできた」と笑顔に。
担当医の姚医師は、麻酔から目が覚め安堵の表情を浮かべる患者をおさめた携帯写真を見せてくれた。伊藤医師は「手術は成功したが、3年でがんが再発する可能性は7割、5年生存率は4割、よって完治の結果は5年後です。5年後に患者が普通に生活ができる体機能のままで生きていてくれるなら、ほんとうにうれしい」と語った。
中国と日本の外科医が力を合わせて行った手術は、中日の技術交流で患者の命を救うことだけではなく、友好を深めた医学交流でもあった。21歳男子大学生の5年後・・・・・・2015年12月、26歳の社会人となった青年がクリスマスでにぎわう街を颯爽と歩いている姿を願って。
人民中国インターネット版 2010年12月16日
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