国際交流基金理事長 安藤裕康氏 インタビュー
聞き手=王衆一
――今回の訪中は、就任後初めてですか。
そうです。でもこれまで何度か訪中したことがあります。北京日本学研究センターの前身の大平学校の創設にかかわって初めて訪中しました。1970年代末期で、ちょうど改革開放が始まったころに当たり、外国語教育の協力を英国、フランス、日本などに求めていました。日本語教育を中国で盛んにするために、中国人の日本語教師を養成する施設を北京に作るという合意ができ、私はその準備にかかわりました。大平正芳元首相の訪中時に、これが実現し、日本語教育の人材養成に大きく寄与してきました。
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安藤裕康理事長(写真・王衆一) |
――外務省に勤務されていた時期に、何度も中国を訪れ、改革開放の各段階を見て来られたわけですね。何が印象に残っていますか。
印象に残る代表的な例は80年代中ごろ、中国外交部(外務省に相当)が日本の中堅指導者の招聘を計画し、日本外務省の中堅幹部も多数招かれ、3週間ほど中国国内を見学させてもらいました。西安、上海、広東などを訪問しました。案内役は現在駐日公使をされている韓志強氏でした。
もうひとつ印象に残る訪中は90年代半ばに、橋本龍太郎元首相に秘書官として随行して、瀋陽の「九一八記念館」を訪問した時です。日本の首相がこのような施設を訪問したのは初めてでした。
印象に残る3つ目の訪中は、2007年、内閣官房副長官補という外交アドバイザーとして安倍晋三元首相に随行した時です。日中間の戦略的互恵関係が初めて提起されたのはあの時でした。
中国はこの30年間に、大きな変貌を遂げましたね。空港を例に挙げて言いますと、70年代末期の並木のある空港道路、そのあとにできた高速道路、そしてODA(政府開発援助)で協力したターミナル2、さらに成田空港よりも立派なターミナル3へと目覚しい発展ぶりだと思います。
――欧米勤務が長いですね。文化交流の面で、欧米との交流と、中国との交流はそれぞれどのような特徴がありますか。
確かに41年の外交官生活を通じて欧米勤務が長くて、通算10年以上になります。ワシントンは2度、ニューヨーク、ロンドン、ローマでの勤務経験もあります。欧米にいますと、異国で暮らしているという強い違和感がありますね。そして欧米では日本文化に対する関心の度合いはそんなに高くありません。
駐イタリア大使をしましたが、日本人はイタリアに100万人も行っているのに対して、イタリアから日本に来るのはわずか5万人です。日本語を学ぶイタリア人も非常に少ない。これに対して、中国は日本に対する関心度が非常に高く、日本製品も随所で見られます。83万人の中国人が日本語を学んでいるし、日本文化に興味を示す人も多い。それは文化圏として同じ儒教圏に属し、共有する歴史も多く、なおかつ文化交流の歴史が非常に長いということと関係があると思います。やっぱり欧米と中国は違うと思います。
逆に近い国同士ゆえにトラブルや問題が起こることは避けられませんね。それを乗り越えていくのは相互理解と相互信頼だと思います。信頼関係を深めるために文化交流が果たす役割が大きい。文化交流をもっと盛んにしていくのが国際交流基金の役目だと思います。
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