駐長崎総領事 李文亮 氏
中国の駐長崎総領事館は、長崎県にある唯一の外国領事館である。地理的にも歴史的にも、長崎は中国と深い縁で結ばれてきた。中国文化は現在の長崎の人々の暮らしに深く広く影響を及ぼし、しっかりと根付いている。神戸や横浜をしのぐと言われる中国と長崎との、太く、長い絆を、これからどう強化させていくのか、総領事の李文亮氏にお聞きした。(聞き手・段非平)
――1985年に開設された長崎総領事館の特色は?
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プロフィール 李文亮
1954年8月生まれ。1974年大連外国語学院日本語学部卒業。前後して中国外交部、中国駐日本大使館、駐札幌総領事館に勤務。2010年6月、中国駐長崎総領事館の8代目の総領事として赴任(写真・段非平) | 李文亮総領事(以下李と略す) 中国駐長崎総領事館の管轄区域は長崎県のみです。これだけを見ても、長崎と中国との関係は特別なのです。上海までの直線距離でわずか800キロ未満、まさに「一衣帯水」です。長崎はまた、孫文先生の革命を物心両面から支援した梅屋庄吉夫妻の故郷でもあります。総領事館は長崎県民と気軽にお付き合いし、一年中、県民に開放しており、何時でも誰でも館内を見学できます。
――長崎と中国との交流の歴史はずいぶん長いですね。
李 千数百年前、中国の歴史書『三国志』の「魏志倭人伝」に今の長崎の対馬と壱岐についての記述がすでにありました。
隋、唐の時代に、日本の遣隋使、遣唐使たちが海を渡って中国へ行き来する時、長崎の5島列島は、彼らの日本の最後の、または最初の寄港地だったのです。「虚しく往きて、実ちて帰る」という言葉で有名な遣唐使の弘法大師・空海が5島の柏崎を発った時のことを「本涯ヲ辞ス」と記しました。これは文字通り、命を賭けて日本のさいはての地を去って、中国へ渡って行く決意を示しています。
約400年前に、福建など中国南東沿海地域の人々が生計をはかるために長崎に渡来してきました。彼らは宗教、建築、料理、医薬、書画、音楽など多岐にわたって、中国文化と生産技術を長崎にもたらし、長崎の発展と進歩に大きく寄与しました。江戸時代の鎖国時期にあっても、長崎は日本の対外交流の唯一の窓口として、中国との貿易往来が途絶えたことはありませんでした。
――近代以来、長崎と中国はどのような関係にあったのでしょうか。
李 去年は中国の辛亥革命100周年にあたりました。中国革命の先駆者で辛亥革命の指導者である孫文は、九回も長崎を訪れました。長崎出身の実業家、梅屋庄吉夫妻は何の見返りを求めることなく、孫文の革命に莫大な援助を提供し、また、孫文と宋慶齢の結婚の手助けもしました。その功績を称え、去年10月から今年3月末まで、「孫文・梅屋庄吉と長崎」特別企画展が長崎歴史文化博物館で開催されました。
それに併せて、中国は長崎県に孫文先生と梅屋庄吉夫妻の3人一緒の銅像を寄贈しました。この銅像の作者は、南京油画彫塑院の王洪志院長です。王院長は、アトリエに20日間余りこもって3人像のほかに、梅屋さんの妻トクさんの胸像も一気に作り上げたのです。
また長崎には、数多くの中国人墓地があります。数百年来、中国から海を渡って長崎に来て暮らし、この地で永眠した人々のお墓です。1974年から、知事をはじめ、長崎各界の人々が毎年秋、この中国人墓地を清掃整理し、それ以後、一度も中断されたことはありません。
――長崎では、今なお中国文化が色濃く残っていますね。
李 長崎の人に「長崎と一番つながりが深い外国は?」と尋ねたら、ほとんどの人は「中国」と答えるでしょう。現在の長崎の街のいたる所で中国文化を見ることができます。例えば、日本最古の石造りアーチ橋である「眼鏡橋」は、中国から来た高僧の黙子如定禅師が架設したものです。また、長崎県に三つある国宝のうち二つがある崇福寺や、興福寺などの唐寺、中国人が海外で建造した唯一の長崎孔子廟、長崎新地中華街、隠元禅師が始めたといわれる卓袱料理など、中国にゆかりの深いものが長崎の暮らしの中に数多く存在します。
それから、長崎の伝統行事にも、中国と縁のあるものが多いのです。例えば、夏の「ペーロン大会」、冬の「ランタンフェスティバル」(長崎燈会)は、いまでは長崎の一大風物詩になりました。
また、日本の国の重要無形民俗文化財に指定されている「長崎くんち」は、本来、秋の五穀豊穣を祝う正真正銘の地元発祥の行事なのです。それなのに、龍踊りや唐人船など中国的なものが色濃く入っているので、「長崎くんち」は中国からの伝来ものだと勘違いする人がたくさんいます。
――長崎と中国のこれからの交流についてどう考えていますか。
李 8月から9月に「地上の天宮北京・故宮博物院展」が、10月から11月にかけて福建省と長崎県との交流史を紹介する初の「中国福建博物院展」などが長崎歴史文化博物館で開催されます。
今年の長崎と中国との交流の目玉は、何と言っても上海航路の再開でしょう。この長崎と上海を結ぶ海上航路「オーシャンローズ」号は2月29日から正式に就航しました。
私は、昨年11月にこの「オーシャンローズ号」のテスト運航で長崎上海間を一往復しました。夜、一人で舳先に立ち、真っ暗な海を眺めながら、千数百年前、空海たちは何のために「死ヲ冒シテ海ニ入ル」でなければならなかったのか、と考えました。それはやはり、海の向こうに夢が、先進的なものがあるという信念があったからではなかったでしょうか。それを思えば、私たちは、先人たちの偉大な精神と信念を受け継ぎ、中日両国はいつまでも仲良くなくてはならない、この海は「平和の海、協力の海、友好の海」でなければならない、という思いを強くしました。
人民中国インターネット版 2012年7月
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