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中日のジャーナリスト 「不惑の年」 沖縄で提言

 

メディアの役割を討論──

4日から5日にかけて、那覇市を離れ、名護市にある「万国津梁館」で二日間のジャーナリスト交流会が開催された。この建物のそばに、沖縄サミット(主要国首脳会議)を実現させた小渕恵三元首相の銅像が立っている。その台座には小渕元首相の座右の銘が刻まれた銅製のプレートがはめ込まれている。「宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える」。当時の沖縄サミットの会場にいると、再び沖縄県の関係者がここを選んでくれた心配りを感じた。

2日間にわたる討論は緊張感がみなぎり活発だった。双方は中日関係の過去と未来、そしてメディアの役割について討論し、今回の会議開催地・沖縄が中日関係に与える影響についても検討した。  討論が始まる前に、筆者は当時、田中角栄首相と周恩来総理、毛沢東主席と会見した際のニュースフィルムの動画を放映した。当時の政治家の姿からうかがわれる英知と魅力は間もなく、出席者を国交正常化の原点へといざなった。日本経済新聞の田勢康弘氏は涙さえも流した。  対話の中、双方は中日関係の現状について次のようなコンセンサスに達した。中日関係は1980年代のハネムーンでもなく、今世紀初頭の激しい対立時期でもない通常の往来時期だということだ。最も重要なのは、両国メディアが敏感な問題を報道する際に、適度に自制することを理解したことだ。

交流会議の会場(写真・孫冉)

また、ホットな話題についても討論した。近年、両国民の相互の好感度がともに低下していることについて、中日がハネムーンから普通の時期に入ったからこそ、相互理解が深化する一方、さまざまな問題が次々と表面化し、トラブルもそれに伴って生じているという観点も示された。これは不惑の年を迎えた中日関係がますます成熟していることを意味している。

中日関係の未来について、出席者は次のように考えた。今後3年以内では、中日関係は依然として通常期の特徴が見られる、つまり問題は多発し、トラブルも少なくないが、中日関係全体の発展を影響することはない。また、両国のメディアは理性を保ち、敏感なできごとを報道する際に、適度に自制し、相手の立場に立って考え、一部の政治家に「利用」され、国民感情をあおる「マイク」になることを避けるべきだ。

最後に、よりいっそう交流を強化する必要性が強調された。中日間の交流はまだまだ不十分で、とくに政府レベルの交流が不足していると考える人がいた。中日ジャーナリスト会議は第7回を迎え、最初の「口げんか」からともに関心のある問題について深く交流できるようになり、中日交流において成功モデルを作り出した。このモデルが両国の政治家の参考になれば、より高いレベルでのコミュニケーションの推進や相互信頼の増進につながるだろう。

交流会議の締めくくりに、首相官邸に野田佳彦首相を表敬訪問した。

「今年は国交正常化40周年であり、われわれはこれを契機に、メディアの強みをよりよく利用し、両国関係の友好的発展に建設的な役割を果たしたい。また、野田首相が両国関係の友好的発展のために、より大きな貢献をなさることを期待したい」と中国側座長を務めた中国新聞社の劉北憲社長が語った。

野田首相は今回の交流会議の成果について評価し、「中日の間では個別の出来事が発生するが、大局的な視野に立てば、すべてが克服できると信じる。メディアの力によって、個別の出来事が悪化しないようにさせるこうした努力が非常に重要だと思う」と述べた。

メディア交流は沖縄で円満に成功した。しかし、当時の言葉は一カ月が経った今でも、まだ耳に残っているものの、不惑の年を迎えた中日関係には再び釣魚島をめぐるトラブルで新たな不確定要素が生じた。両国関係の大局は個別の出来事によって影響を受けるのは中日関係の健全な発展を望む人々が目にしたくないことだ。責任感のある政治家がそれを直視し、大局から政治的判断を行うことを希望する。新たな歴史的環境の中で、いかに先人の知恵を受け継いで新たな問題を解決するかは「不惑の年」が提起した新たな課題だ。

 

人民中国インターネット版 2012年9月

 

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