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一人芝居通じ「戦争の歴史を語り継ぎたい」

俳優・神田さち子さんの舞台にかける思い

 

中国国際放送局・王小燕=文・写真

残留婦人の壮絶な半生

5月の北京外国語大学千人礼堂。たった一人の演者が圧倒的な勢いで表現する芝居がここで上演された。日本の敗戦後、中国東北部に残留した日本人女性の半生を再現した『帰ってきたおばあちゃん』だった。

「壮絶な女の一生に言葉も出ません。この感動と戦争の痛みは一生心の中に残ります」

「加害者である日本の国民も戦争の被害を受けたことを知り、戦争の残酷さを改めて感じました」

「弱者が戦争の犠牲にならないよう、今後もぜひ公演を続けてほしい」

来場者たちから寄せられた感想だった。

自分が孤児だったかも

主演は神田さち子さん。1944年中国撫順の生まれ。96年からこれまでにこの芝居を180回以上も上演した。中国では、2008年のハルビン、長春公演に続き、5回目で念願の首都公演が実現した。毎回の中国公演は費用の大部分が自腹で、彼女のこの芝居に対する深い思い入れがあってこそ実現できた企画だと言える。

中国からの引き上げ者とは言え、「当時1歳半で、何も覚えていない」。その後、戦後の日本で普通に暮らし、大学進学に結婚、子育ても経験した。それが、子ども向け読み聞かせ会の参加がきっかけで、気付いたら舞台に立っていた。20年前に夫が病気で亡くなった後、それまで以上に舞台活動に励むようになったが、中日間の戦争の歴史に特に興味があったわけではなかった。

そんな中、1996年、友人でこの作品の原作者である良永勢伊子さんに誘われ、中国から一時帰国した「おばあちゃん」たちと会った。

「深く刻まれたシワ、能面のように表情のない顔。聞いても何もお答えにならない」ことに強い衝撃を受けたという。しかし、部屋を出ようとした時、「おばあちゃん」の一人がぼそっと言った。

「もう祖国には何も言うことはありません。でも、私たちみたいな者がまだたくさん残されていることだけは忘れないでほしい」、と。

はっとさせられ、脳裏に蘇らせた情景があった。それは、小さい頃から母親に聞いていたことだった。

「引き上げ船の中で、私と5歳の兄はコーリャンやヒエ、アワを取り合いっこして食べ生き延びたそうです。船の上のほうでは、ドボン、ドボンと毎日のように音がしていました。亡くなった人を水葬する音でした。もし、ボタンの一つでも掛け違っていたら母は残留婦人で、『マーマー、私は誰なの』と泣く孤児は、私だったかもしれません」

こうして、「おばあちゃん」の「声なき声」を「ずっと背中に背負って」公演をするようになった。

「命に敵も味方もない」

「この芝居を養父母と日本人を助けてくれた中国の人々に差し上げます」

神田さんがチラシに書いた思いだった。

養父母たちとハルビンで面会した時、聞いた。「なぜ敵国の子どもを育てたんですか」と。返ってきたのは、自分の「狭い心が恥ずかしく」感じるような答えだった。

「命に敵も味方もありませんよ」

「謝謝養父母!」ステージでは、感極まって張り裂けるような声で叫ぶせりふがあった。「それは心の底から発した言葉です」と彼女は真摯な目で語った。

「両国の若い人たちは過去の歴史をしっかり踏まえた上で、手をつなぎあってほしい。それを私の舞台を見てもらって分かってほしい」

そして、毎回の舞台あいさつで必ず言う言葉がある。

「これからも演じ続けていきます」。

 

人民中国インターネット版 2012年11月7日

 

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