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東日本大震災から2年 仙台に住む中国人たちは今

張暁飛さん 「微力ながら社会に役立ちたい」

張暁飛さん
張暁飛さんは東北大学医学部に在籍している。地震の後、多くの留学生と同じく、張さんも一時帰国した。その後、仙台の状況が落ち着いたとネット上のニュースで知った張さんは2011年4月10日に仙台に戻った。

「日本の建物は頑丈なので、地震は怖くありませんでしたし、原発事故による放射能の影響もあまり気になりませんでした。でも、私が心配していたのは、私が『逃げ出した』ことによって大学の先生やクラスメートから冷ややかな目で見られるのではないかということでした。不安を抱きながら大学に戻りましたが、先生もクラスメートもみんな温かく迎えてくれました。大学側は、私のような戻ってきた留学生が安心して勉強できるようにと学費を減免してくれました」

5月になると、中国人留学生はほとんど仙台に戻ってきた。「地震後、みんなで集まって話し合いました。日本の方々は何かと助けてくれたので、今度は自分たちが微力ながら社会に役立とうと決心しました」

そして張さんは、十数人の中国人留学生と共に「NPO法人在日留学生協会」を立ち上げ、自ら理事長を務めた。

「最初に思いついたのは、津波の被害を受けた被災地へお見舞いに行くことでした。5月に、私たちはたくさんの餃子を作り、そして3人の代表者を選び、冷蔵車を一台レンタルして餃子を気仙沼の避難所に運びました。代表となったのは、私の他に農学部と工学部の学生でした。私たち3人は被災地で餃子の調理や分配に当たりました。地元の若者たちは『こんなにおいしい餃子を食べたことがない』と言っていました」

2012年5月上旬、NPO法人在日留学生協会は東日本大震災についての写真や作文を募集し、展覧会を開催した(写真提供・NPO法人在日留学生協会)

2012年3月、東日本大震災一周年の際、「NPO法人在日留学生協会」は仙台国際交流センターの協力によって、東日本大震災に関する写真・作文募集活動を行い、大勢の市民と各国からの留学生が積極的に応募した。その後、張さんらは寄せられた写真と作文による記念展示会を開催した。

「ある新聞社記者」と名乗る匿名の投稿者は次のように記した。「東日本大震災発生後、これらの留学生たちはさまざまな困難を乗り越え、日本や世の中、そして自分自身をより一層深く理解するようになりました」

 

人民中国インターネット版 2013年4月2日

 

 

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