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他人のために自己を顧みず 日本に現れた二人の「雷鋒」

 

北京大学日本研究センター客員研究員 三津木俊幸

 

 

今年9月、大阪北区で9歳の少年が台風で増水した川に流された。ちょうどそこを通りかかった中国からの留学生、厳俊さん(26)が、すぐさま濁流に飛び込み、350㍍も流されながら、少年の救助に成功した。彼は来年、大阪市立大学博士課程に進学するため、学校見学に来日していたのだ。テレビや新聞で、「なんて勇敢なんだ」「善良で友好的な青年」「ありがとう中国」と、大々的に報道された。心温まるニュースだった。

 

 

中国には「雷鋒に学べ」というスローガンがある。新中国成立後の人々の教育のために、中国の指導者が奨励した言葉だ。雷鋒は人民解放軍兵士で、自己を犠牲にして多くの人民のために奉仕した人物で、同僚や人民から愛されていた青年であったが、1962年に不幸にして22歳という若さで事故で亡くなった。

中国では、「中華民族の美徳」として称えられ、今でもこのスローガンは人民の中に浸透している。濁流の中に身を投じ少年を助けた厳俊さんの血には、雷鋒の精神が脈々と流れていたのであろう。

去る10月1日、横浜のある踏切内で、電車が通る直前に男性(74)が線路上に倒れた。父親と共に車内からその光景を見ていた村田奈津恵さん(40)が、父親の制止も聞かず、「助けなきゃ」と遮断機をくぐり抜け、男性を線路から助け出したが、不幸にも本人は電車に巻き込まれ即死という、痛ましい事故が起きた。

このことは連日、新聞・テレビで報道された。優しくきれいな奈津恵さんの写真を見て、どうしてこんな勇気があったのかと、多くの人々が賞賛の声を上げ、事故現場では彼女の冥福を祈る人の姿が後を絶たなかった。

 

 

私も感動を抑えきれず、朝日新聞の「声」欄に投稿し、掲載誌を事故現場に持参して冥福を祈った。たまたまご両親がその近所に住んでいることを知り、了解を得たうえでお会いすることもできた。

目の前で娘が電車にはねられる姿を見た父親の無念さを思うと言葉が出ず、私の好きな旧制一高(現東京大学)の寮歌に「君が憂いに我は泣き……」とあるのを思い出し、しばしご両親と共に涙した。

お父さまは、「奈津恵は困っている人を放って置けない子だった。路上で酔って歩けないような人を見ると、自宅の電話を聞き出して家族に連絡するなど、優しい子であった」と語った。

この勇気ある奈津恵さんを称えるご両親の姿、そして「奈津恵は私たちの誇りです」と、霊鷲山に旅立つ愛娘に贈る言葉には、悲しみを勇気に変えて生きてゆく決意がかいま見えた。

通夜には奈津恵さんをしのぶ参列者が100㍍にも及んだ。愛犬を抱く優しい奈津恵さんの遺影に焼香して、お別れをした。

ドイツに住む私の妹からも、このニュースに涙しましたと報告があった。また中国の友人は、「奈津恵さんは日本の雷鋒ですね」と言葉を寄せてくれた。その通りであると思う。

「中国に雷鋒あり、日本に奈津恵さんあり」である。

日本の誇りとして永久に忘れることはないであろう。

一句を詠んだ。

 

天高く駆け上がりけり奈津恵さん

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

人民中国インターネット版 2013年10月11日

 

 

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