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「暖かい中国」

 

難波千穂美

大学3年生で、私は約1年間中国天津へ留学に行った。

私が中国へ旅立つ頃、日中関係は決して良いとは言える状態ではなかった。多くの親戚や友人は「今行っても大丈夫なのか、怖くないのか」と聞いた。私は、「きっと大丈夫だよ!日本に来ている留学生の友達はみんないい人なんだから」と彼らを安心させるため、いや、自分自身に言い聞かせるように言い、日本をあとにした。

毎日のようにテレビで報道される日本への抗議活動。正直なところ、不安はあった。

初めての留学、初めて自分ひとりで行った海外。あの時は、まだ中国をこんなに愛おしく思う日がくるとは、思っていなかった。

中国へ降り立った留学初日、大きな不安が優しさで包まれた出来事があった。

大きな荷物を抱え、初めてタクシーに乗った私は緊張気味の中国語で大学名だけを運転手に伝えた。大学に着いたが宿舎がなかなか見つからず、運転手は一緒にあちこち探してくれた。その姿をみた中国人学生も見ず知らずの私の荷物を持ち宿舎を探し回ってくれた。

結局、留学生宿舎が別校舎にあることを知ったときにはもう夜も更け、その学生は寮母さんに頼み、彼女たちの部屋に私を泊めてくれた。簡単な中国語で私に話しかけてくれ、彼女たちの優しさで、空港に降り立った私の不安は気づけばなくなっていた。

次の日、自分が食べるはずだった朝食のパンを私にもたせ、見送ってくれた。6人部屋で、温かい優しさに包まれてぐっすり眠ったあの夜と、彼女たちをこれからもきっと、ずっと忘れない。

こうして幕を開けた私の中国留学は、こんな優しさに何度も何度も助けられた。

テレビの中だけで見る海の向こうの国、昔喧嘩をした国、いろんな想いをそれぞれが抱いている。でもほんの一歩の歩み寄りが、その長年抱いてきた思いですらも変えていけると思えた出来事もあった。

まだ留学が始まって間もない頃、道端で困っているおばあちゃんと出会った。その人は私に「荷物が多すぎてひとりじゃ帰られなくなったから、息子を呼びたいの。電話を貸してくれる?」と私に声をかけてきた。とっさに「財布や携帯はきちんと管理すること」と口酸っぱく言っていた先生の顔が浮かんで、すぐに私は疑いの目で彼女を見た。言っていることはわかったが「ごめんなさい。中国語がわかりません」と嘘をついてしまった。

しかし、本当に困った様子に見えたので、携帯を貸してあげると、息子さんに電話を掛け、何度もありがとう。ありがとう。と、すぐに電話を返してくれた。私は、疑った自分を恥ずかしく思った。「あなたどこの国から来たの?あ、韓国人でしょ!」おばあちゃんは、とても優しい笑顔をして、私に聞いた。私は日本にいる祖父母の顔が浮かんだ。私の祖父母は日中関係をよく思っていなかった。テレビの報道をいつもしかめっ面で見ていた。

「きっとこのおばあちゃん、私のおばあちゃんと同い年くらいだな。もしかしたら、日本のこと嫌いかもしれない。私、日本人だって答えて大丈夫かな」という不安が出てきた。

でも、おばあちゃんの笑顔を見て、嘘はもうつけなかった。「日本人です」。私がそう答えると、少しの間があいた。日本人と答えたことを後悔し始めたとき、「まぁ。日本人だったの。ごめんね。気づかなかったわ。本当に助かったよ。優しいのね。ありがとう。ありがとう。本当にありがとう」。おばあちゃんは満面の笑みを浮かべ、そう答えてくれた。

寮への帰り道、私は、何度もおばあちゃんの笑顔を思い出しては、自然と笑みがこぼれた。

あの、おばあちゃんが日本をどう思っていたのかはわからない。でもこの日の出来事で、日本人の印象がほんの少しでも温かくなってくれていれば、すごくうれしいと感じた。この日を境に、私は「日本人」だと答えることをためらわなくなった。私が中国に居られるわずかな時間のうちに、たくさんの中国人の心に日本人と過ごした温かな記憶を残したかった。

そんな想いが報われた思い出がある。学校の長期休暇を利用して、留学生の友人と2週間の中国旅行をした。いろいろな中国を見て、たくさんの中国人と一期一会の出会いをした。

その中で、国内旅行をしていた中国人グループと仲良くなり、夕食を共にしたことがあった。年齢も性別も出身地も違う、出会って数時間の友人たちと「私たちは、もう家族だ。新しい家族に乾杯」。そう言って、お酒を交わした。

帰り際、その中の一人が私にそっと近づいてきてつぶやいた。「本当は、日本人が嫌いだったんだ。でも君に出会って、日本を好きになった。これは、私の旅行で一番の収穫だった。本当にありがとう」。星がにじんで見えたこの瞬間、私にとってもこの旅行で一番の思い出となった。

たくさんの優しさで支えられた私の留学生活はあっという間に終わりを迎えてしまった。

目を悪くしてしまい、急きょ1カ月ほど前倒しで帰らなければならなくなった私を、この留学で出会ったたくさんの友人が、忙しい時間をぬってお別れに来てくれた。

涙を流して出会えたことを喜んでくれた友人たち。「おねえちゃん!といつも慕ってくれた、中国で出来た私のかわいい妹。いつかまた、彼女たちに会いに行こうと思う。

日本に帰ってたくさんの人に中国について聞かれる。私はそのたび、「中国は、すごく暖かいところだったよ」と答える。祖父母にも、中国人がどんなによくしてくれたかをたくさん聞いてもらった。ニュースを見ている祖父母の様子が最近ちょっと変わった。「こういうニュースってほんの一部分が映ってるだけやもんね」。そう言って、私をみた目はとても優しかった。

日中友好のために何かをするというのは、すごく難しいことのように感じていた。でも、それは、お互いのほんの一歩の歩み寄りで広がる輪ではないかと今は感じる。

私も、その輪を広げられるように、自分の経験や想いを自分のまわりから広げていこうと思う。

 

人民中国インターネット版 2014年12月

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