池部菜々子
「今日も電車の中で中国人が大声でワーワー電話してたよ。あの国にマナーって言葉はないのかな」と私の父はよく口にする。高校生の私は父と同じ考えを持っていた。おまけにいつも怒っているようで怖いとも思っていた。
なぜ中国人はうるさいのか、なぜマナーが悪いのか、なぜあんなにも我が強い性格なのか。これらの疑問や懸念は私の心の中で渦を巻き、中国に対するイメージを真っ黒に染めていった。
しかし大学1年生になった私は著しい経済発展を遂げる中国に興味を持ち、第2外国語を中国語に決めた。経営学部として中国から目をそらして勉強していくことは不可能に近いと感じたのも事実だ。それがきっかけで中国文化などについても積極的に勉強するようになった。私はこれまで何となく避けていた中国と向き合うことを決めたのだ。
ある日、中国語の授業で先生が教えてくれた。「多くの日本人が中国人はうるさいとか、いつも怒っていると思っています。けれどそれは違います。中国語には四声があるため幅広い音程を使って話すのです。一方で日本人はある程度決まった音程で話します。この違いがうるさいと感じさせてしまうのです」。その言葉を聞いてから街で中国人を見かけても怖いと感じることはなくなった。私にとって異文化を理解し、受け入れた瞬間だったのかもしれない。マイナスイメージの最も大きな原因が取り除かれたあと一層中国への興味が深まり、中国語を勉強したい気持ちが強くなった。高校生の時に私の中で存在していた真っ黒な中国は次第に色を取戻し始めていた。しかし、まだ完全に色を取戻すことはできなかった。メディアから日々こぼれてくる環境問題や食品の衛生管理問題、領土問題、日本への抗議活動が黒いしずくとなって私の中の中国に一滴一滴染み込んでいったからだ。
大学2年生の夏休みに中国の北京に3週間の短期留学が決まった。やっと自分の目で中国を見ることができる嬉しさと新たな生活への不安が入り混じった気持ちになった。留学の報告を友達や親戚に伝えると心の底から喜んでくれる人は少なかった気がする。私自身の体や生活環境などについて心配する声が多かった。その時私は感じた。日本人の心の中にある中国は黒いしずくに支配されていると。
拭いきれない不安を抱えたまま私は中国へ旅立った。入国した時からとても怖かった。どうしようもない恐怖が体中を駆け巡っていた。その原因は自分でもわからない。住み慣れた日本を離れた寂しさだったのかもしれない。少しも想像できない中国での生活への心配だったのかもしれない。言語が違うことへの孤独だったのかもしれない。
この恐怖がなくなっていったのは留学生活を始めて5日目のことだった。友達の紹介で大学の広場でコマなどのおもちゃで遊んでいる1人のおじいさんに会ったのだ。彼は孫が2人いて日が暮れて涼しくなると毎日一緒に大学の広場に来るという。彼は笑顔で自分のおもちゃを貸してくれた。遊び方やコツを教えてくれて上手くできると手を叩きながら「很好!很好!」と言った。初めて会った異国の若者にあんなにも親しく接してくれるその優しさで私の恐怖心は知らぬ間に消えてなくなっていた。
それから中国での生活は優しさと温かさで溢れていた。声をかけてくれる人や、道を教えてくれる人からは日本人にはない優しさや親しみやすさを感じることができた。ある日夜遅くに道に迷ってしまい地下鉄の駅を探していたことがあった。その時に声をかけた40代くらいの男の人は道を教えるだけではなくて一緒に駅まで連れて行ってくれたのだ。駅までの道のりでも日本に行って富士山を見たときの話や、自分の娘が最近誕生日を迎えたことなど話してくれた。道を聞いただけのつたない中国語しか話せない外国人にこんなにも親しく話してくれるなんて思ってもいなかった。もし自分が日本で道に迷った外国人に出会ったときに同じことが出来るかと考えたら、きっと無理だろうと思った。これが中国人の国民性なんだとはっきり感じた。高校生の時にうるさくて我が強いと思っていたことが急に恥ずかしくなった。メディアを鵜呑みにし、日本にいる中国人だけで国を判断していたことを謝りたいと思った。こんなにも温かく、おもしろく、力強い中国を肌で感じた私は日本に帰ったら必ずこの目で見たことを伝えるんだと強く心に決めていた。
私一人の中国に対する見方が変わったからといって、日本を蝕む中国への黒い情報をすべて消し去ることはできない。今日もメディアなどからこぼれる黒いしずくが日本人の心の中にある中国に少しずつ染みわたっている。しかし私はそのしずくを中和できるだけの鮮やかな色を持っている。どれだけの人に影響を与え、どれだけの人の中国に色を付けられるかわからないが、それでも私は自分の目で見たことを伝えたいと思っている。色を持っている人が一人でも多くなればいつか両国が歩み寄れる日が来るかもしれない。
「中国どうだった?大丈夫だった?」多くの人が聞く。迷わず私はこう答える。「うん。すごくいいところだった。良い人が多くてさ……」聞いた人の心の中国に私は色をつけていく。かつて真っ黒だったとは思えないくらい、今の私の心の中の中国は鮮やかに色彩を放っていた。
人民中国インターネット版 2014年12月 |