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泉田裕彦 新潟県知事に聞く
「角さん」と「トキ」が築いた友好 次世代につなぐ

聞き手=于文 写真=呉文欽

 

「日本列島改造論」で一世を風靡し、中日国交正常化を実現した田中角栄元首相が日本で再び注目を集めている。特集番組が組まれ、関連書籍の売れ行きも好調な元首相を、人々は「角さん」と愛称で呼ぶ。「角さん」が残したさまざまな名言をヒントに、日本の活路を見出そうとする人も少なくないようだ。

 

来年は国交正常化45周年を迎えるが、中日首脳会談が実現したにも関わらず、改善の兆しは依然脆弱である。本誌は田中元首相の故郷・新潟県の泉田裕彦知事を訪ね、新潟県独自の中日交流の歩みを探ると同時に、両国の相互利益の実現と、中日関係の回復改善に対する泉田知事の持論を聞いた。

 

——新潟で「県の鳥」と指定されているトキは、日本を象徴する鳥とも言われていますね。保護には中国も関わっていますが、経緯についてお聞かせください。

 

泉田裕彦知事 日本でトキが生息していた最後の地は新潟の佐渡ですが、残念ながら純粋な日本のトキはすでに絶滅しています。今は1998年に保護協力に関する覚書を交わしたのをきっかけに、中国と共同で増殖をしています。日本のトキを守ろうと、中国側から特段の配慮をいただいたことで、佐渡のトキ保護センターで保護と増殖を続けることができました。

 

トキの学名は「ニッポニア・ニッポン」で、日本の象徴のように言われていますが、現在トキが日本に生息しているのも、日中の研究者が協力したからに他なりませんので、私は日中協力の象徴と認識しています。さらに2010年の上海万博では、日本館がトキのミュージカルをメーンストーリーとして上演し、一昨年にはトキの協力物語を題材にした舞踊劇「朱鷺」が日本で公演されるなど、今では両国ともども、次世代に羽ばたく日中関係の象徴と受け止めているようにも思えます。

 

今年2月に2回目の「新潟春節祭」が新潟市内で開催された。多くのアーティストが陝西省、湖南省、山東省から集結し、ステージでのパフォーマンスなどの様々な催物が来場者を楽しませた 

 

――知事は何度も訪中されていると思いますが、中国の印象はいかがでしょうか。

 

泉田 海外出張で一番多いのが中国です。就任後はほぼ毎年、合計17回訪中しました。

 

初めて中国本土の土を踏んだのは、12年前のハルビンでした。当時は馬車が走っていましたが、今はすっかり車の洪水に取って代わり、経済発展の目覚ましさは日本の高度経済成長期を思わせます。広い大地も印象的ですね。三江平原の広大さ、13億の民を養っている農業規模の巨大さから、スケールの大きさを感じます。

 

 中国の春節の風物詩・獅子舞を楽しむ来場者たち。期間中には約7万人が訪れた

 

——三江平原といえば米ですが、新潟のコシヒカリは中国でも非常に有名です。2007年の第一次安倍内閣のころ、温家宝元総理が訪日し、日本のコメの輸入促進を成功させたところ、価格が中国米の25倍もする「コシヒカリ」が大ヒット、在庫切れになりました。

 

泉田 新潟のコメが中国の方々に喜んでいただけて、とてもうれしく思っています。実は中国との農業交流は、1972年の日中国交正常化がきっかけでした。黒龍江省で米の生産を可能にするため、水を引いて水田農業を可能にする技術を日本から導入したのです。亀田郷土地改良区の佐野藤三郎理事長が代表となり、現地と交流をしつつ農業研修生の受け入れも行い、生産体制が作られました。食料の安定供給に貢献する水田改良に協力でき、大変うれしく思っています。

今年1月の黒龍江省訪問では、陸昊・黒龍江省長から「都市部のサラリーマン向けに、カップラーメンのようにお湯をかければすぐ食べられるご飯ものはできないか」との提案がありましたが、今は何を作るのかを含め、専門家同士がこれから話をしてみようかという段階で、今後は食品加工にも交流が広がっていけばと考えています。

 

 食べ物のブースはやはり人気で、本場の味を楽しめるとあって、どの売場にも長蛇の列ができた

 

——農業以外の交流や協力は?

 

泉田 県費留学生という制度で250人以上の外国人留学生を受け入れており、中国の留学生も訪れています。また、新潟では2年前から「春節祭」を行っていて、より中国文化を身近に感じられるようになりました。

 

経済交流は主に上海と遼寧省で、県内の企業が多く進出しています。今は中国の大気汚染が問題になっているので、新潟の企業による空気清浄器が結構売れていますね。ハイテク分野の貿易も進んでいて、半導体部品や基盤などの工場が上海郊外に進出しています。また、ソフトウエアの企業が中国人を社員に迎え、黒龍江省でソフトの開発を行っていますし、商談会にも毎年出展していますが、問題は中国の経済力向上で人件費が上がっていることです。

 

1999年、中日友好のシンボルとして中国から贈呈されたトキのペアにより、初めて人工繁殖に成功した。野生下生まれのペアが佐渡の空を飛翔する(写真提供・環境省)

 

——人件費が上がることで、日本では中国の経済発展の減速が懸念されていますが、この点についてはどう考えますか。

 

泉田 確かに生産拠点としては厳しくなっていますが、人件費アップは購買力アップを意味しますから、市場としては魅力的です。今後は生産大国からマーケットとして成熟した市場に転換していくと思います。

 

中国の産業構造と市場の変化をマイナスと考えず、チャンスを発見する機会と捉えれば良いのではないでしょうか。日本人は細かいものをつくるのが得意ですし、新潟の企業は独自の加工技術を持っていますから、今後は日本でつくったレアなもの、細かい仕事のものを輸出する方向へとスライドしていくとか、サンヨーから中国メーカーのハイアールに事業譲渡された洗濯機のアクアのように、相互にメリットを生む局面が増えていけばと望んでいます。

 

2008年、飼育下で増やしたトキを自然界に戻す「放鳥」が開始され、2012年には放鳥したペアからヒナが誕生した。今年4月、40年ぶりの野生下生まれのペアからヒナが誕生し、6月には42年ぶりにヒナが巣立って、真の野生復帰への一歩を踏み出した(写真提供・環境省)

 

——田中角栄元首相についてお聞かせください。中国では、中日関係に重要な役割を果たした田中元首相は、教科書にも載っています。田中元首相の故郷・新潟の知事として、日本での「角さん」ブームをどう見ていますか。

 

泉田 リーダーとして大きな業績を成し遂げたことが、今評価されていると思っています。日中国交回復の実現もそうですし、通産大臣時代には、沖縄返還に伴う米国との繊維交渉をまとめています。これは国内対策を上手にマネジメントしたからこそ実現できました。「角さん」が提唱した「列島改造論」は「持続可能な地域社会を若者が夢と希望をもって創生するためには、国土の均等な発展が必要だ」という発想で、現代の風潮に合っています。さらに「角さん」自身に、人の心をつかんで社会を変えていく魅力があるということも大きいでしょう。

 

——田中元首相の偉業とも言える中日国交回復から、来年で45年になります。「角さん」の発想は中日問題解決のヒントになりますか。

 

泉田 日本は「省あって国なし、局あって省なし」と言われるほどの縦割行政ですが、省益を廃し、国全体を考えることが重要で、これを考えたのが「角さん」だったと感じています。

 

地方間交流、旅行、経済関係、貿易を通じて、信頼できる関係構築を多層的に進めるのが、両国関係の安定につながるのではないでしょうか。船で命がけの海越えをした時代から、日本と中国の間には行き来がありました。東アジアの将来を見渡すなら、日本には中国と向き合い、交流を続ける以外の選択肢はないと思っています。

 

人民中国インターネット版 2016年6月27日

 

 

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