文=于文 写真=于文 呉文欽
今年の4月に熊本県を襲った地震を受け、本誌5月号では「がんばれ!熊本」というタイトルで緊急ページを組んだ。熊本のマスコットキャラクター・くまモンに、同じ「熊」のパンダ(中国語では「熊猫」)がタケノコを送るイラストを王衆一・総編集長が提案、漫画家の斉夢菲さんに作画を依頼し、応援メッセージと共に掲載した。
後にこのイラストを微信(ウィーチャット)にアップしたところ、多くのネットユーザーがこぞって「パンダとくまモン」モチーフの応援イラストを描いた。熊本県への復興の願いが中国全土に広まっていったのだ。このことが日本のSNS(ソーシャルネットワークサービス)でも話題となり、王総編集長のもとには、日本メディアからの取材が相次いだ。
編集部発信の小さなアイデアが中国全土からの大きなメッセージへと成長し、その思いが日本のお茶の間にまで伝えられたことは、編集部にとっては思いがけない喜びだった。「このイラストをくまモンに直接届けたい」という思いが社員の中で次第に高まっていった。その思いを実現させるべく九州を目指した記者が見た、熊本復興にかける中国人と日本人の心温まる交流を伝える。
福岡総領事館が被災者移送に協力
イラスト制作の背景には、『人民中国』がくまモンへ抱く格別の思いがあった。
本誌主催の「Panda杯全日本青年作文コンクール」の本年度開催に際し、くまモンに作文を書いてもらいたいという意見が社内から起った。そして、熊本県庁との話し合いのさなかに大地震の報を受けたのだった。困難に立ち向かう熊本県の人々に『人民中国』独自の方法でメッセージを発信できないかという思いから生まれたのが、このイラストである。被災地が落ち着きを取り戻しつつあるのを見届けた本社東京支局は、その思いを胸に、くまモンを訪ねて九州へと向かった。
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日本メディアの取材を受ける王衆一編集長 |
震災後、くまモンは5月5日に初めて避難所に姿を現してから、被災者を励ます活動をしているという。東奔西走するくまモンと熊本県の業務の妨げにならないよう、記者は直接の問い合わせを避け、聞き込みに頼って自力でくまモンを探し、イラストを渡そうと考えた。
有力情報を得るために最初に目指したのは、中国大使館と共に熊本県に協力を申し出た中国駐福岡総領事館だった。中日共同の救援に自ら陣頭指揮を執った張梅・副総領事の表情には、まだ疲労の色は見られなかった。「総領事館は中国人の在住者、留学生、旅行者の保護を最優先としますが、災害と救助活動においてはその限りではありません。両国民は困難の中、真の友として新たな絆を育んだと言えるでしょう」
地震発生直後、李天然・駐福岡総領事(当時)は中国人居住者と留学生の移送のために大型バスを3台チャーターした。高速道路はすでに封鎖され、一般道しか通行できない上に、頻発する余震で走行には危険が伴ったものの、バス会社は快くチャーターを引き受けた。この3台のバスは10数日にわたって熊本と福岡の往復を重ねた。中国人の他に韓国、オーストラリアの旅行者も乗せたこのバスチャーター措置は、外国人被災者の避難にも大いに役立った。中国からのツアー客が阿蘇の山中に取り残されているという情報には、蒲島郁夫・熊本県知事が中国語のできる職員を被災地に派遣し、救助に当たった。全員救出の吉報に、李総領事はようやく安堵の息をつくことができたという。張副総領事は「中国人の死傷者が1人も出なかったのは、熊本県と県民の皆さんの協力があったからです。総領事館の努力だけではありません」と、双方の緊密な協力体制を明かした。
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パンダからくまモンへのお見舞いイラストは、中日両国のネットユーザーの間で大きな反響を呼んだ |
程永華・中国駐日本大使は、各国大使の中では最も早い4月23日に熊本の被災地を訪問し、各地に在住する中国人居住者と中国系企業などによる1797万4460円の寄付を蒲島知事に託し、5240元(約8万円)の義援金と15万7000円相当の救援物資を届けた。また、李福岡総領事は34年前に熊本県と友好都市提携を結んだ広西チワン族自治区人民政府の代理人として、200万元(約3000万円)を義援金として送っている。
福岡での取材を終え、福岡総領事館から「熊本在住の中国人留学生の多くが被災者と共に避難所にいたので、くまモンの動きを知っているのでは」という情報を得た記者は、被災地の熊本を目指した。
避難所で配られた熱々の中華まん
記者が訪ねた朱詩画さんと郭暁萌さんは熊本大学で学ぶ留学生で、地震後も被災地にとどまり、他の中国人留学生と共にボランティア活動を行っていた。
郭さんは震災発生当時の状況を思い出すと、今でも恐怖がよみがえると言う。1回目の大きな揺れの時は自転車での帰宅途中で、「あんなに強い揺れは経験したことがなかったので、突然周りの建物が左右に揺れ始めた時には、てっきり崩れかけた家が倒壊したのだと思い、地震とは気づきませんでした」と語る。揺れで自転車から投げ出された郭さんは、「さっき通りかかった道を振り返ると、塀が崩れるのが目に入りました。もうちょっと遅かったら下敷きになっていたかと思うと…」と不幸中の幸いを語る。
しかし本当に恐ろしさを感じたのは、16日早朝に起こった2回目の震度7だった。前の地震を本震と思い、熟睡しているさなかに大きな揺れで起こされた郭さんが、ルームメートと共にアパートの階段を駆け下りた時、辺りはまだ真っ暗だった。「周りも見えない中で大きな余震が立て続けに起きて、生きた心地がしませんでした。あんな体験はもうこりごりです」と声を落とす。
その後、倒壊を恐れて家に戻れない近所の人と一緒に、郭さんは学校の体育館に避難した。就寝中のできごとで、しかも地震の経験がない中国の留学生は、布団などの生活用品を持ち出すこともできなかった。そのため、雨ガッパを布団換わりに、体育館の床にそのまま寝るしかなかった。
そんな状況下でも郭さんが避難所にとどまることを決意させたのは、避難所で触れた日本人被災者の真心だった。震災のショックも冷めやらぬ頃、恐怖で体育館の隅に1人うずくまる中国人留学生がそのまま眠ってしまっていた。それを見たお年寄りが、優しく毛布をかけ、自分は体育館の何もない冷たい床の上で一夜を過ごした。郭さんはこの出来事に大きく心を揺さぶられ、同じ被災者として何か役に立つことはないかと考えるようになった。
避難生活当初の数日は水も電気もなく、食べ物も不足していた。道路が不通で外からの救援物資が行き渡らなかったためだ。被災者たちは限りある物資を分かち合い、時には一つのおにぎりを2人で分け合うほどだったので、福岡総領事館のバスで運ばれてきた中華まんはとてもありがたかった。食べ物を手にした留学生たちは、自主的に中華まんを避難所のお年寄りや子どもたちに分けた。一方、領事館はおにぎりや水などの冷たい食べ物が続くと身体に良くないから、中華まんを温める方法はないかと留学生たちに相談を持ちかける。中国人留学生行きつけの中華料理店があることを思い出した朱さんが、早朝6時に店を訪ねて事情を話したところ、華僑のオーナーは二つ返事で、震災でめちゃくちゃになった調理器具の中から使えそうな物を選び出し、大量の中華まんを温めてくれた。
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イラストは「パンダ」から無事にくまモンに届けられた |
「温かい中華まんを配ることで、被災者の皆さんが抱く中国への感情も温めたのではないかと思っています」と語る朱さんは、孤児院の避難所にも食べ物が行き渡っていないことを知り、中国人留学生の有志と共に、そこで暮らす子供たちのために温かい中華まんを送り届けている。
被災地から離れるためのバスを領事館が準備したにも関わらず、朱さんや郭さんのように現地を離れようとしない留学生は決して少なくなかった。「避難所では大雨の夜中でも、雨具もなく全身ずぶ濡れになりながら、懐中電灯を持って周辺の警備に当たる人がいます。その人たちは、夜中に大きな余震が起こった時に避難者を起こしたり、安全地域への避難を誘導するために、休むことなく働いていました。職務とはいえ、彼らも被災者です。真摯なその姿は本当に感動的でした」と郭さんは語る。被災地を守る日本人の姿に触発された多くの中国人留学生たちは、郭さん同様被災地にとどまり、日本の人々と共に被災者救援に力を貸そうと決心したのだった。
くまモンとの出会いを果たしたパンダ
中国人留学生からの情報で、「くまモンオフィス」が熊本市の繁華街にあることがわかり、記者は現地で待つことに決めた。探し当てたオフィスをのぞいてみたところ、くまモンと有名人の記念写真が壁いっぱいに飾られていた。持参したイラストもコレクションの一部にしてもらえるかもしれないと期待を抱く。デスクの上に置かれた応援メッセージでいっぱいのノートには、所々に中国語で「熊本加油(熊本がんばれ)」と書かれており、中国人ファンの訪問を物語っていた。
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熊本大学に留学中の熊本地区中国留学生会会長・朱詩画さん(右)と副会長の郭暁萌さん。震災に立ち向かう日本人の心意気に触れ、被災地にとどまることを決意したという |
外がにわかに騒がしくなったと思ったら、くまモンがたくさんのファンに囲まれながらオフィスに入ってきた。記者が慌てて駆け寄りイラストを差し出すと、くまモンは何ごとかと一瞬立ち尽くしたものの、イラストが中国からの応援メッセージであることを伝えると、小躍りして何度もおじぎをしてくれる。話ができないくまモンに代わってスタッフがお礼の言葉をかけてくれ、「くまモンにイラストを届ける」記者の任務はようやく終了した。
地震発生の翌日、周明偉・中国外文局局長と陳文戈・人民中国雑誌社社長が熊本県の蒲島知事に宛ててお見舞いのメッセージを送った。時を置かずに熊本県国際課を通じて知事からの返信が届けられたことに、私たちは困難の中にあっても礼儀を尽くす熊本の誠意を見た。何らかの行動を起こさなければという気持ちをかき立てられた。一日も早く熊本が元の元気な姿を取り戻すことを祈るとともに、震災で心を一つにして協力した「パンダ」と「くまモン」の物語を、イラストが語り継いでいってくれることを切に願っている。
人民中国インターネット版
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