九州大学言語文化研究院教授 中里見敬
『春水』関連画像=九州大学附属図書館濱文庫蔵
このたび九州大学附属図書館の濱文庫に所蔵される『春水』手稿が、執筆から95年ぶりに冰心の自筆原稿だと確認されました。冰心(1900-1999、日本では謝冰心とも)は中国現代文学を代表する女性作家で、戦後の一時期、約5年にわたって東京に住むなど、日本とはとりわけ縁の深い作家です。1950年から1年間、東京大学で初めての女性教員として外国人講師を務めたこともあります。中国では現在でも小中学校の教科書に作品が採用されており、「文壇の祖母」と呼ばれて中国の人々に敬慕されました。
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周作人題記による『春水』の手稿本 |
冰心が21歳の学生時代に書いた『春水』は、みずみずしい感性を清新な口語体自由詩に表現したもので、中国新文学の幕開けを告げる文学史的に重要な作品です。1922年3月から6月にかけて、まず北京の新聞『晨報副鐫』に掲載されました。詩集として出版するため、1922年11月冰心は『春水』の原稿を清書します。当時北京大学教授で新潮社文芸叢書の主編を担当していた周作人(1881-1967、魯迅の実弟)の尽力によって、詩集は1923年5月に刊行されます。原稿はそのまま周作人の手元で保管されていたのですが、1939年10月に書斎を整理していた周作人が見つけ出し、濱一衛(はま・かずえ、1909-1984)という日本人の若者に贈られます。濱一衛は1934年から2年間北京に留学し、周作人宅に寄宿していました。中国演劇研究者の濱は、その後九州大学の教授となり、現在その蔵書は九州大学の図書館に濱文庫として収められています。
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『春水』手稿本の自序には、1922年11月21日の日付が見える |
昨年初めて公開された「1939年周作人日記」に、「下午又整理旧报。得《春水》原稿,拟订以赠濱君」(午後、また古新聞を整理する。『春水』の原稿が出てきたので、製本して濱君に贈ることにする)の一文が記されており、濱文庫を調査したところ『春水』手稿が見つかった、というのが今回の発見の経緯です。
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最終ページ(114〜115ページ) |
論文発表後の6月27日には、中国駐福岡総領事館より何振良総領事と丁剣領事が九州大学附属図書館で『春水』手稿を参観されました。何総領事は熱心に『春水』を閲覧され、小学校で先生から教わったときにはよく理解できなかったが、この年齢になって再読すると、短い詩にこめられた哲理を深く味わうことができるようになった、と感想を述べられました。それに対して宮本一夫・九州大学附属図書館長は、そのような詩を21歳で書いた冰心は天才ですね、と中国語で応じました。丁領事も「みかんの提灯」(小桔灯)、「桜花賛」など冰心の作品には親しんでこられたとのことで、冰心と『春水』をめぐって話が盛り上がりました。
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何振良総領事(左から2番目)が九州大学を訪ね、『春水』手稿本を熱心に参観し、感想を語る |
総領事訪問時には、九州大学の学生2名が『春水』の詩を朗読して披露しました。また、中国語ランゲージテーブルという活動の中で、中国人留学生が『春水』の詩を日本人学生に解説するなど、九州大学では留学生を中心にちょっとした『春水』ブームとなっています。なお、ランゲージテーブルとは、昼休みに食事をしながら中国語で会話をする活動で、学生によって企画運営されています。『春水』を朗読した学生たちは、ランゲージテーブルを主催するほか、福岡市の中国語弁論大会で入賞するなど、熱心に中国語を学んできました。一人は卒業後、新聞社への就職が内定しており、もう一人は大学院へ進学して研究を続けたいとのこと。こうした活動を通して、中国を深く理解した九州大学の卒業生が各界で活躍することを期待しています。
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文学部4年の木原規衣さん(右)と同3年の木村淳美さんは、総領事に『春水』の朗読を披露した |
このたびの『春水』手稿発見は、九州大学にとって光栄であるだけでなく、学生にも日中交流のよい機会を与えてくれました。中国人留学生からは、このニュースを国内の家族や友人と微信でシェアしました、九大の留学生であることをますます誇りに思います、といった声が多く寄せられました。研究者として大変うれしく思いました。
九州大学には、孫文が1913年3月18日に本学で講演した際に揮毫した「学道愛人」、および本学医学部卒業生で作家の郭沫若が1955年12月17日に来学した際の「実事求是」と「福地萬間廣、精神有食糧。海天同永壽、日月與争光」の書などが残されています。これらに加えて、冰心の詩集『春水』手稿もまた、日本と中国の交流の証しとして今後長く大切に保管されることになるでしょう。
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九大で中国語交流の場となっているランゲージテーブルで談笑する、中日の学生たち |
人民中国インターネット版 2017年7月13日
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