古鎮の古い家
古鎮には、茶馬古道のおかげで身代を築いた商人が少なくない。特にキャラバンの「馬鍋頭」らはひと儲けしてから土地を買い、次々に家を建てている。彼らの子孫が、ここに落ち着いて暮らしているのである。中でも欧陽、趙、陳、楊、李といった一族の祖先は、みなキャラバンの「馬鍋頭」だったという。ガイドの案内で欧陽家を訪れた。
清の末期に完成した欧陽家の家屋は、寺登街の西北に位置する「三家巷」の一番西の端にある。石畳の道に沿ってゆくと、石造りの「門楼」(門の上に築いた屋根型建築)の前に出る。門楼の上部にある石の獅子、鳥の彫刻やさまざまな花模様の浮彫りはもはや風化しており、はっきりとは見えない。これが、欧陽家の一番目の門である。それをくぐって狭い道を抜けると、正門である二番目の門がある。この門と一番目の門の構造はほぼ同じである。主に木造で、泥彫りや木彫り、彩色上絵、レンガ彫りなどすばらしい模様が、反り返った軒先と斗キョウ(柱の上部にあり、軒をささえる部分)を特徴とする門楼の芸術を形作っている。門のかまちの横木には、「漁樵耕読」の図案が彫り込まれている。その雅やかさから、読書人の家柄であることがうかがえる。
2番目の門をくぐると欧陽家の中庭である。これは典型的な「三房一照壁」のペー族の民居で、百年あまりの歴史があるが、今に至るまでほぼ完全な状態がとどめられている。門と壁には、精巧な木彫りと石彫りの図案が多く見られる。きれいに片付いている中庭には、さまざまな盆栽が並べられ、生き生きとした空気に満ちている。中庭の西、南、北三面は母屋、客室、「耳房」(母屋の両端に立てられたやや低い部屋)からなり、すべて2階建てである。東側の幅8メートル、高さ3メートルほどの照壁(目隠し用の塀)とあわせて、完全な正方形の構造となっている。
主人の欧陽盛先さん(66歳)が紹介してくれた。「『三房一照壁、四合五天井』式の建築構造はペー族民居独特のものであり、特に三房一照壁は比較的普遍的なスタイルです。主に庭壁、正門、照壁、母屋と耳房によって構成されています。四合五天井は、ごく少数の裕福な一族が住む家屋で、母屋と耳房はそれぞれ四つあり、さらに大きな中庭一つと小さな4つの中庭で構成されています。照壁はペー族民居にとって不可欠であり、中庭の内、外、村の前に必ず建てられています。庭内の照壁は母屋の真向かいに設けられ、上部は灰色の瓦に覆われ、四方に向かってひさしが反り返っています。照壁の色は白く、その軒下と左右両側には色の濃い、薄いレンガが四角、円形、または扇面形を形作っています。中には、彩色の墨や水墨で花や鳥、昆虫、魚、山水、人物あるいは梅、ラン、松、竹なども描かれています。さらに唐詩と宋詞の名文も書き込まれたものもあります。照壁の真ん中には、円形の大理石をはめるか、あるいは「福」の字を書きます。夕方になると、白い照壁に太陽の光が反射して、部屋の中を明るく照らしてくれます」
説明を受けながら、この古い家屋の隅々までを見学した。その精巧な建築スタイルと素朴な気風が、深く印象に残った。
ゆっくりと古鎮を離れた。反り返った軒先と斗 を特徴とする門楼、そして雅やかな照壁が、まぶたの裏に浮かび、いつまでもなかなか消えなかった。 (馮進=文、写真)
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