漢朝(前206~220)の末期に、司馬徽という人がいた。彼は人をあげつらうことは絶対にしなかった。意見を求められても「好、好(おおせの通り おおせの通り)」とうなずくだけでほかの言葉は何も言わない。
ある日、訪ねてきた友人が「ずいぶん元気そうだね」と挨拶したところ、司馬徽は、いつものとおり、「好、好」。友人が、今度は悲しい表情で自分のせがれがすこし前になくなったという不幸を訴えると、司馬徽はやはり「好、好(ごもっと ごもっと)」
業をにやした妻が、「相手がどんなことを言っても、“好、好”と答えるとしかできないなんて、本当にばかも同然ですわ」となじった。それでも司馬徽は「好、好(ごもっと ごもっと)」と答えるばかり。
後世の人はこの故事から「好好先生」の成語をつくって、はっきりした見方を持たず、悪い人、悪いことと闘う勇気のない者のたとえに使っている。さしずめ中国版“イエスマン”といったところ。
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